今日、我が家に小生が若い頃から公私ともにお世話になって、というより命の恩人と言っても過言ではない方が見えられた。80才をとうに過ぎていらっしゃいます。でも、まだまだかくしゃくとして目も耳も達者、お話もきわめてなめらかで歯切れがよい方です。
もう何年ぶりでしょうか、別の所ではお見かけもするし、親しくお話もする機会がありますが、ご近所にお寄りになったついでに、拙宅まで足を運ばれたのです。
我が家に着き、2階に上がろうとして階段に足をかけたとたん、「これは急だよ、大変だな、手すりを付けた方がいいんじゃないか。」そう言いながら、もう上の方は手を使ってはい上がる感じでした。以前はこういうこともなく、さっさと階段を上がられたように思ったので、随分お年を召されたなと感じました。
それ以上に、これまで何とも思っていなかった階段の上がり下りが、お年寄りには大変なんだなと改めて思ったわけです。他の家と比べて、急な階段とは思ってもいませんでしたので。
小生もけして若くはありません。朝起きがけにさっと階段を下りられなくなり、どしんどしんという感じになりつつあります。それでも、まだ階段が急だとは思ってもいませんでした。考えてみれば、我が家にもそれなりの年寄りが出入りします。でも、手すりまでは必要ない、というふうにこれまで気にもとめていなかったのです。
今日初めて「手すり」が気になりました。年を取ってみなければ分からないこと、感じないことは多くあります。階段の上がり、むしろ下りの方が足元不如意になることは、とんと思いもよりませんでした。
たしか、前に他の年寄りから、駅のエスカレーターは上りだけで便利は便利だけど、実は下りの階段の方が心配なんだよという話しを聞いたことがあります。その時までは、階段の上りが辛いからエスカレーターを利用するとしか考えませんでした。その後、何でもない階段、段差で転んで大けがをした方を目撃したこともあって、本当に若いうちには分からない「足元不如意」という実際を考えさせられました。それも、我が家の階段の手すりとは直接結びつけて考えませんでした。
その方も階段以外の場では、以前と変わらずしっかりしていらっしゃって、お話もうかがうことができ、お帰りになりました。
「転ばぬ先の杖」。早速、階段に手すりをつけようと決意したところです。
それにしても、60代70代と年を取って行くということの実感は、40代の頃には全く分からない境涯でしたね。
もう何年ぶりでしょうか、別の所ではお見かけもするし、親しくお話もする機会がありますが、ご近所にお寄りになったついでに、拙宅まで足を運ばれたのです。
我が家に着き、2階に上がろうとして階段に足をかけたとたん、「これは急だよ、大変だな、手すりを付けた方がいいんじゃないか。」そう言いながら、もう上の方は手を使ってはい上がる感じでした。以前はこういうこともなく、さっさと階段を上がられたように思ったので、随分お年を召されたなと感じました。
それ以上に、これまで何とも思っていなかった階段の上がり下りが、お年寄りには大変なんだなと改めて思ったわけです。他の家と比べて、急な階段とは思ってもいませんでしたので。
小生もけして若くはありません。朝起きがけにさっと階段を下りられなくなり、どしんどしんという感じになりつつあります。それでも、まだ階段が急だとは思ってもいませんでした。考えてみれば、我が家にもそれなりの年寄りが出入りします。でも、手すりまでは必要ない、というふうにこれまで気にもとめていなかったのです。
今日初めて「手すり」が気になりました。年を取ってみなければ分からないこと、感じないことは多くあります。階段の上がり、むしろ下りの方が足元不如意になることは、とんと思いもよりませんでした。
たしか、前に他の年寄りから、駅のエスカレーターは上りだけで便利は便利だけど、実は下りの階段の方が心配なんだよという話しを聞いたことがあります。その時までは、階段の上りが辛いからエスカレーターを利用するとしか考えませんでした。その後、何でもない階段、段差で転んで大けがをした方を目撃したこともあって、本当に若いうちには分からない「足元不如意」という実際を考えさせられました。それも、我が家の階段の手すりとは直接結びつけて考えませんでした。
その方も階段以外の場では、以前と変わらずしっかりしていらっしゃって、お話もうかがうことができ、お帰りになりました。
「転ばぬ先の杖」。早速、階段に手すりをつけようと決意したところです。
それにしても、60代70代と年を取って行くということの実感は、40代の頃には全く分からない境涯でしたね。