おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

今や弛緩しきっている日本の社会

2005-05-02 09:10:40 | 世間世界
 羽田空港の滑走路着陸事件。一歩間違えれば大惨事になりかねなかったミス。勤務していた管制官全員が「工事のため閉鎖した滑走路には着陸禁止」と言うことを失念していた! 機長のほうが知っていて確認を求めたのに対して、着陸指示を繰り返して着陸させたという。あとの飛行機は機長の判断で別の滑走路に降りた。
 18人の管制官全員が忘れていたというのだから開いた口がふさがらないとはこのこと。飛行機では離陸と着陸が魔の時間とか言われて最も緊張する。操縦士の緊張はもとより乗客も何だか心落ち着かない。小生、飛行機に何回乗ってもこの緊張はけっして心地よいとはいえない。 
 最近のある飛行場での経験。着陸態勢に入り地面が接近し、車輪が地面に着いたかと思ったとたん、急上昇して滑走路から離れたことがあった。もう一度旋回して無事着陸したが、一瞬名古屋空港の惨事が思い浮かんだほどだった。その時着陸したら事故につながるという機長の判断と管制官の指示によったのだろう(後に、急な横風のためだったという機内アナウンスがあった)。それほどまで、管制官にも我々乗客の生命を預けているのである。
 だから、今回の事態は、注意力散漫・伝達不充分などといったことで片づけられない。事故にならなかったから助かったという問題ではないのだ。人間のやること、必ずミスはつきものである。その時のフォローを誰がやるのか、コンピュータに任せるのか。しかし、こうした技術優先の背景には、ニンゲンフシンが根底にあるような気がしてならない。
 危険防止のための制御システムを導入するのは当然としても、それ以上に、やはりそうした生命を預かる、人間の道義心といったメンタルな部分の意識改革が必要なのではないか。「技術」第一義主義の中で、人の心・精神的な作用を軽く見ている落とし穴があるように思う。JR西日本の大惨事。これも日ごろの社員教育のゆがみが生んだように感じる。
 技術の開発・導入で事故が回避される側面があることは事実だろう。しかし、人間そのものの教育・学習が正しくなされなければ、かえって、ニンゲンフシンの上に立ったシステムは、正常には機能しない。ニンゲンフシンのシステムは、即、人間軽視につながっていく。
 日本の企業教育のあり方が技術偏重になっていった結果が、JR西日本や今回の事態につながっているのではないか。だとすれば、一つ二つの企業の問題ではない。上は政治家から官僚、社長から社員に至るまで、基本的な「人間生命尊重」教育・学習の欠如が問題だと思う。
 利益優先・効率優先・成績重視など、すべて技術革新に結びつけていってしまうことの弊害を指摘したい。コンピュータなどの科学技術システムに頼り切って、ますます弛緩した人間の精神が、あちらこちらで多くの弊害を生み、ひいては、人の生命までも軽んじる結果となっているのではないだろうか。
 人間だけでなくさまざまな自然の生命を大事にする「心の教育」が必要なのだと思う。
コメント
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