おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

還暦を迎えた戦後日本

2005-05-04 10:21:08 | 平和
 60歳。還暦を迎えると赤いちゃんちゃんこを着てお祝いを受けます。長嶋さんが「はじめての還暦で・・」と緊張気味で話しをして大受けしたのは何年前でしたか。
 還暦、ご承知の如く、生まれた年の干支に返る。一説によると「60歳・一因果」、つまり60年で自分が歩んできた一生の振る舞いの結果が出るとも言われています。原因と結果ですから、善因善果というふうにいけばいいですが、なかなかそうはいきません。積もり積もった自らの所行が報いとして現れてくる、となると今となってああしまった!と思っても後の祭りとなってしまうのが、悲しいかな人間の有様です。
 国家もそうかもしれません。戦後60年を一因果ととらえると、戦後の出発から今日までいったい何をしてきたか、その原点は何であったかを思い返すのも大事でしょう。
 1945(昭和20)年8月15日、敗戦。
 歴史にif(もしも)はありえませんが、もしまだこの日に敗戦を迎えなかったら、日本はどうなっていたでしょうか。広島長崎の他にも小倉や新潟に原爆が投下されていた、沖縄に引き続き日本本土(九州地方)は米軍(連合軍)により地上戦が行われた、北海道はソ連軍の侵攻があった、こうしてずたずたになった日本を想像してみましょう。
 その際に重要なのは戦場は日本だけではなかったということです。中国でも、朝鮮でも、東南アジアでも、太平洋の南の島々でも、悲惨な戦闘が続くという発想が、我々になければならないと思います。
 一方、8月1日にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をしていたならばどうだったでしょう? 広島も長崎もソ連の満州侵攻もなかった、などを想像してみましょう。またアジア地域は?
 しかし、もしも反対に日本が勝ち戦さで、あと5年も戦争を続けていたらどうだったでしょうか。何をいまさらと思いますが、実は後者のような発想をすることで、1945年8月までの日本の戦争政策、またその間の朝鮮や満州(中国)への統治政策はどういう真意と意図を持っていたのかを考えるきっかけになるのではないでしょうか。もし後何年も日本が戦争を遂行していたらと想像してみることで、あの当時、どうして(why)日本はあのような異民族統治を行っていたのかを考えていくことになるのだということです。
 現在に至るまで、中国や南北朝鮮との間の歴史認識の違いは、中国や朝鮮では、当時の日本政府や軍隊のやったこと、やろうとしていた事の意図・狙いに対する批判・抵抗が今もなお骨身に染みて存在しているのではないかと思うのです。
 今になって「未来志向でいこう」とこちらが言っても、早々簡単に許されるものではないと考えている人々が多いのではないでしょうか。
 戦前の日本が「なぜ」ああいうような政策を遂行したのか、その点をもっと省みなければ、彼らの反発の真意は分からないような気がします。
 こうして、戦後60年。曲がりなりにも平和を維持(60年間、正規軍同士の戦闘行為によっての死亡者0は世界でもまれな国です。)してきた背景に厳然としてある、「日本国憲法」。戦後の経済復興。政治的・思想的自由・・・。
 今、その憲法を「改正」しようとの動きが国民の間に強まっています。喉元過ぎれば・・ではありませんが、憲法記念日を過ぎれば、またもとのもくあみというふうにはなりそうもありません。 還暦を迎えた戦後日本。これから新たな60年をどう築いていくか。1945年から60年前は、1885年。明治維新から18年。いよいよ日本が世界にうってでる時代を迎えていました。そして9年後、「神の国」日本は、日清戦争を皮切りに戦争国家として歩み始めたのです。
 憲法記念日に想ったことでした。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする