おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

小沢氏起訴相当に思う、国民目線とのずれ

2010-04-28 22:56:26 | つぶやき
 小沢氏起訴相当との検察審査会の議決を受けての会見。
 私としては意外な結果で、驚いている。というのも、ご承知のように、私の政治団体については、昨年3月から1年に渡って検察当局の捜査の対象になった。その結果、不正なお金は入っていない、不正な現金はなかった、また、脱税などの実質的な犯罪がなかった、ということが、捜査によって結果として証明されたわけだ。それが不起訴ということに結論づけられたと思っている。従って、最終的には検察当局の適正な判断がなされるだろうということを信じている。
 ここでのポイントは、「実質的な犯罪がなかった」というように、あくまでも形式的な違反に過ぎないという主張。政治資金規正法違反は、そんな単純な形式的な法律違反事件なのか、ここに国民の不信の目があることからあえて眼を逸らしている。
 次に「検察当局の適正な判断がなされる」という表現で自らの説明責任を放棄している。
 検察審査会は「不正なお金が入っていた」とか「不正な現金があった」とかいうことを議決したのではないのに、ことさらそうではなかったことを力説する不自然さ。
 ――検察審査会は、「石川議員を信じた」という小沢氏の供述を、「きわめて不合理で不自然」と言っているが?
 政治家と秘書との関係は、他の組織に較べて信頼関係で成り立っている。私だけでなく、すべての政治家の事務所でそうであることは、自然のことだと思っている。
 ここでのポイントは「すべての政治家の事務所」という言い方。自分だけではない、他の政治家も同じなのにどうして自分だけがやり玉にあがったのか、という露骨な検察不信がそこにはある。また、政治不信がこうした政治家と秘書との関わりを含めて現れていることにも眼を向けない。
 ――今回の結果を受けて、進退を問う声がでているが?
 私自身やましいことはありませんので、与えられた責務を、淡々と全力で果たしていくことに尽きると思います。私としては、最終的に検察当局が適正な判断をしてくれるものと信じている。
 ここでも、「やましいことがない」ことをしっかり国民の前に説明することが最も重要なのに、「検察」云々で、自らの説明責任を放棄している。
 ――参議院選挙への影響が進退に影響することは?
 みなさんに正確に報道して頂ければありがたいが、何の犯罪もなかったことが明らかになっているので、私は国民もそのことを理解し、信頼してくれるものと思っている。最終的に検察当局が適正な判断をしてくれれば、それで国民も納得してくれるものと思っている。
 ここで、報道姿勢に対する批判的な言葉が出ている。そして、「何の犯罪もなかったことが明らかに」なっていない、という現実を直視していない。
 ――今日の結果をめぐり、政治とカネをめぐる政治不信の声が起きているが、そのことについてどう思うか?
 今日の結果で、ということはないと思う。私の政治団体で何の不正や犯罪行為があったわけではないので、そのことさえ、みなさんがわかってくれれば、何も今日のことで政治不信が高まるということはないと思う。
 また、私の政治団体だけだが、すべて皆さんに公開している。そのことも国民に理解して頂ければ、きちんと支援してもらえるものと思っている
 ここまでくると、まさに「確信犯」的な態度。いかんともしがたない末期的症状。どこが私の政治団体「だけ」が「すべて」公開していると言えるのか。
コメント
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