さて、「七里の渡し」跡まで、後半戦。
「笠寺一里塚」の先には、「笠覆寺(りゅうふくじ)・笠寺観音」。
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寺伝によれば、天平5年(733年、一部の文書には天平8年-736年)、僧・善光(または禅光)が浜辺に打ち上げられた流木を以て十一面観音像を彫り、現在の南区粕畠町にその像を祀る天林山小松寺を建立したのが始まりであるという。
その後1世紀以上を経て堂宇は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままになっていた。ある時、旅の途中で通りかかった藤原兼平(藤原基経の子、875年-935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆った娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。
この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺、即ち笠覆寺と名付けられたという。笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来する。
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「笠寺商店街」。 左手奥が名鉄本笠寺駅。
踏切の先の交差点を右に曲がります。分岐点には「東海道 是より北よびつぎ」という「道標。
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東海道を意識したつくりの寺社が並んでいます。
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街角毎に道標。ここは「東海道 塩付街道」の道標。
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宿駅制度制定四百年記念碑
今に残る東海道は、徳川家康による宿駅制度制定以来、わが国の代表的な幹線道路として産業・経済・文化の発展に大きく寄与してきた。江戸時代東海道の西側には、呼続浜の潮騒が磯を洗い、大磯の名を残している。ここで造られた塩は塩付街道を通じて小牧・信州に送られていた。東側には、松林を遠く望む風光明媚な景勝の地として有名であった。
現在は繁華な町となるも、長楽寺・富部神社・桜神明社など、名所旧跡を多く残し、今日に至るまで数々の歴史の重みに想いをはせるものである。
平成13年吉日 名古屋市・呼続学区
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この「年魚市潟」(あゆちがた)という名称が、「愛知」の地名の由来とされます。また、万葉の里との関連は?
高市連黒人(たけちのむらじくろひと)
桜田(さくらだ)へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干(しおひ)にけらし鶴鳴き渡る (巻3 271)
〈訳〉 桜田の方へ鶴が鳴いて飛んでいく。年魚市潟は潮が引いたらしい。鶴が鳴いて飛んでいく。
年魚市潟は名古屋市熱田区、南区の当時海岸であった一帯。県名「愛知」の由来となった。
作者未詳
年魚市潟(あゆちがた)潮干(しほひ)にけらし知多の浦に朝漕(こ)ぐ舟も沖に寄る見ゆ (巻7 1163)
〈訳〉 年魚市潟は、潮が干いたらしい。知多の浦で朝漕いでいた舟も沖の方に寄っているのが見える。
(
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前者の歌は、特に有名です。「年魚市(あゆち)」の語源は? 魚の「あゆ」とは関連がなさそうな印象ですが。
この付近(呼続)の変遷を「今昔マップ」より。
地図上の色分けで分かるようにこの辺りは四方を海や川などの低湿地帯に囲まれた標高13、4㍍ほどの小高い丘陵地帯でした(下・中央が「笠寺」)。浮島のような土地。
西側は標高3、4㍍で水田地帯。そのさらに西は標高-1㍍、0㍍となっていて、かつては海でした。東側も低地。
旧「東海道」は丘陵の西の縁を南北に進んでいたことが分かります。
江戸時代に入って干拓が進み、西に大きく土地が広がり水田になり、それ以前の海岸線はまったく分からなくなりました。
時代が下がり、丘陵の西側に「名鉄」が開通、西側にあった水田・田畑が区画整理されましたが、その後、宅地化され、田園風景はなくなりました。
さらに、東側の丘陵一帯や東側も開発され、宅地化。かつての面影はまったくなくなり、現在に至っています。
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「東海道 鎌倉街道」。
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宿駅制度制定四百年記念碑
古来、呼続一帯は四方を川と海に囲まれた、巨松の生い茂る陸の浮島として、「松巨嶋」(まつこじま)と呼ばれ、尾張の名所であった。ここは東海道が南北に通り、これに鎌倉街道が交差している。西側の磯浜は「あゆち潟」と呼ばれ、これが「愛知」の地名の起源になったと言われている。芭蕉は「寝覚めの里よびつぎ」と書き記し、この地に足跡を残している。また、山崎の長坂(今より急坂であった)に接する山崎の立て場は、宮の宿への往還の地として賑わい、宮の宿より渡し舟の出港を呼びついだことから「よびつぎ」の名があるとも言われている。
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進む方向を望む。 振り返って望む。
「山崎橋」手前にある道標。
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「北あつた 南よびつぎ」。
橋を渡って左に曲がります。
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この先で大きな「松田橋」交差点になります。
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「国道1号線」に合流します。
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しばらく進み、「国道1号線」から左側の側道に入って、JR東海の踏切を渡ります。
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古い町並みも。
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熱田橋を越えると、「熱田区」。
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