おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

都営線「本所吾妻橋」駅~京成電鉄「青砥」駅。その7。玉子屋。「キャプテン翼」。旧線路跡。古代東海道。

2020-05-28 19:46:17 | 沿線歩き

                         四ツ木駅。

昔からあるお店「玉子屋」さん。

割烹 玉子家
玉子家の玉子丼は500円という安さ!
90年程前に、ここ四ツ木にはお店が少ないからと、料理屋をはじめた先代。
もともとは、養鶏をしていたのですが、高速道路建設のため移転した時に
養鶏は辞め、料理屋のみにしてしまったそうです。
卵は産みたて、鶏も冷凍では無い直産ものにこだわっています。
こちらの玉子丼は、卵本来の味を損なわないよう具は玉葱、筍、椎茸、三つ葉だけです。
シンプルではありますが、食べ応え十分。汁物、煮物、漬物が付いて500円とは、うれしいお値段です。(注:現在は600円)

こちらのお店は、元々養鶏をしていた事からこの名前が付いたそうです。
先代が、食事を出すようになってから90年。
今も、玉子と鶏を中心としたメニューが数多くあります。
おりもさんは、玉子丼とやきとりをいただきました。(2,003年3月15日放送 「ぶらり途中下車の旅より)

京成押上線四ツ木駅と周辺のまちづくり  
 1912(大正元)年にできた最初の四ツ木駅は、現在の駅より北側にありました。このころは、1両だけの電車が1時間に1本走っているだけで駅員も1人くらいでした。その後、大雨による川の氾らんから東京を守るため、現在の荒川をつくる工事が始まったことから、鉄橋と線路を新しくつくらなければならなくなりました。この新しい線路のルートに合わせて、1923(大正12)年、今の場所の近くに駅が移りました。  
 現在の四ツ木駅は、1999(平成11)年に完成しました。四ツ木駅の周りでは、なかなか開かない踏切をなくすために線路を高い場所につくり直す工事や、災害に強い地域にするため、せまい道路を広くしたりしています。また、木でできた古い建物を燃えにくい建物に変えていく事業も進められています。

以前の四ツ木駅。

           現在の四ツ木駅。

(写真は、「」より)

そして今や「キャプテン翼」一色。

          

高橋陽一先生 ゆかりの駅『四ツ木駅』をキャプテン翼一色に!
 日本にサッカーブームを巻き起こし、国内外の多くのサッカー選手に大きな影響を与えたとされる「キャプテン翼」。その原作者である高橋陽一先生の出身地・葛飾区四ツ木は、サッカー界にとっての「聖地」です。
「サッカーの聖地」四ツ木を訪れる人たちに、その玄関口である四ツ木駅から「キャプテン翼」の世界観を楽しんでほしい。そんな思いを込めて、京成電鉄では駅全体に「キャプテン翼」の装飾を施しました。

(この項、「」HPより)

 そういえば、去年暮れに訪日した香港の青年。四ツ木駅に訪れることをとても楽しみにし、我が家に荷物を下ろすと、さっそく出かけました。

 こちらはスルーして駅下のガードをくぐり、先に進みます。実はこの商店街をもう少し行ったところがかつての(「荒川放水路」が出来る前の京成線の線路が通っていた道です。(突き当たり)

 

○が旧駅。(「今昔マップ」より)

左は荒川放水路が完成していない頃。右は現在の様子。 

この先を右に曲がって立石駅方向へ。この付近に旧四ツ木駅があったか?

 振り返る。旧線路は、この先正面を南西に進んでいた。   

この付近は道路整備中。新築の家や空き地が目立つ。

ミヤタ自転車・○○兄弟商会」。

「川魚鶏肉・柏屋」。

実はこの道は古代東海道の道だとされ、この先、「立石大通り」の道へ続きます。旧線は、しばらくこの「古代の道」を走っていました。

 「古代東海道」は隅田河畔から東武鐘ヶ淵駅付近を通り、荒川を越え、四つ木橋の北詰、「レンバンサイクル」という自転車屋さんの脇の道から、水戸街道を越えて、四つ木駅の商店街を通り抜け、「立石大通り」から中川を渡り、小岩へと続き、江戸川付近までのほぼ直線道路。この道は西から東まで、かつて歩いたことがあり、ブログにも掲載しました。

「水戸街道(国道6号線」から荒川(西)方向を望む。


水戸街道を渡ったところにある「案内板」。上が北。

水戸街道から四ツ木駅商店街方向を望む。

商店街との合流点から振り返る。「○○兄商会」脇の道。

    

さて、古代東海道だった道(旧線路)を東に進みます。

「(荒川が氾濫したときの)浸水水位」。↓の赤い線。3m。この先はもっとすごい!

「ファイト翼くん」。葛飾郵便局前。

コメント
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