「いすみ鉄道」車内風景。「桃鉄印帳が登場」。
ワンマンバスと同じで、運転席横に乗車・下車口があり、清算します。
車外は緑がいっぱい。
山深い丘陵地帯が続く。
トーベ・ヤンソンが描くムーミン谷は、山や森、川などの自然に囲まれたのどかで平和な場所。いすみ鉄道も、そんなムーミン谷のようなのどかで美しい風景の中を走ります。いすみ鉄道に乗る際はスマホから目を離し、のんびりと窓の外を眺めてみてはいかがでしょう。豊かな自然が心をほっと癒してくれるはずです。(「いすみ鉄道」HPより)
※かつて運行していた「ムーミン列車」はなくなりました。
山間の風景。
「三育学院大学 久我原」駅。
※「三育学院大学」=看護学部を設置する大学。大多喜町の「久我原キャンパス」と「東京校舎」がある。
(「同大学」HPより)
いすみ鉄道の駅名には、サブ名が付いています。企業等が協賛している「命名権」によるもののようです。
例:「GSK総元」。GSKとは後藤設備工業の略称で愛媛県松山市に本社、香川県高松市に支店を構える空調・電気設備工事関係の企業。 「サンテック新田野」。「サンテック」は、総合設備エンジニアリング企業。
周囲が開けてきます。
大多喜駅に到着です。城門?
「房総の小江戸」とあります。
前面には「チーバくん」。
千葉県マスコットキャラクター「チーバくん」(Chiba Prefecture mascot CHI-BA+KUN)
千葉県に住む不思議ないきもの。好奇心旺盛でいろいろなことに挑戦するのが大好き。
未知のものに立ち向かうときほど勇気と情熱がわき、からだが赤く輝く。食いしん坊でいたずら好きな面も。
(お誕生日:平成19年1月11日)
横から見た姿が千葉県の形をしています。
「奥房総」
大多喜駅。沿線随一の大きな駅?
下り線ホーム(上総中野方面)。
この駅名は、「デンタルサポート 大多喜」。乗降客が多い。
当駅は命名権(ネーミングライツ)により、千葉県内の訪問歯科であるデンタルサポート株式会社が命名権を取得しており、2009年(平成21年)9月よりデンタルサポートを冠した愛称が付与され、各種表記に反映されている。当初は1年の契約であったが、さらに契約が延長された。(「Wikipedia」より)
※かつて「デンタルサポート大多喜駅」から「大原駅」の区間で、いすみ鉄道車内にてデンタルサポート株式会社 総合研究所の歯科衛生士による「口腔ケアセミナー」を開催したようです。
「正しい歯磨きの方法、お口のケアの方法、嚥下(えんげ、「飲み下す」の意)体操など、健康のための口腔ケアをいすみ鉄道に乗りながら楽しく学びましょう! 」というコンセプトでした。
大多喜とは?
大多喜地域は戦国時代から城下町として繁栄した。応仁の乱以後守護大名が台頭し、長南の武田氏、万木の土岐氏、小浜の槍田氏、安房の里見氏がこの地方で衝突していた。小田喜根古屋城は1544年(天文13年)武田氏から里見氏の武将正木時茂が取って代わり、里見氏の支配を受けた。1590年(天正18年)徳川四天王の1人本多忠勝が10万石を与えられ約11年間領知した。忠勝は里見氏に備えて城を整え、城下町の整備、六斎市の開市を企てた。本多氏以後たびたび城主が替わり、1703年(元禄16年)から松平氏が9代続いたが、大多喜地域の大部分が他藩領、旗本知行地として支配を受けた。明治維新により大多喜県、木更津県、千葉県と行政区画が変遷し1889年(明治22年)老川村、西畑村、総元村、上瀑村、旧・大多喜町が誕生した。
1935年(昭和10年)5月、大多喜町で建設が進められていた宮田製作所の自転車工場が一部完成。フレームの生産等を始める。工場の動力は地域産の天然ガスが使用された。大多喜地域は次第に衰退し財政力が豊かではなかった。そこで、町村規模の適正化、福祉の推進、地方自治の発展、行財政の強化のため旧5町村が町村合併促進法により合併し、現在の大多喜町が誕生した。
大多喜城。(「Wikipedia」より)
観光案内図。
「回送」中の列車。「千葉県誕生150周年」。