一面、麦畑。緑が目に染みるようです。(「日光東往還」歩きにて)
5月5日(日)は、24節気の7番目「立夏」。春分と夏至のちょうど中間にあたる。
暦の上での夏の始まり。この日から立秋の前日までが夏季になる。
5月1日が「八十八夜」でした。
「立夏(りっか)」とは夏の始まりの時期。一年のうちで、もっとも過ごしやすい季節。
むしろ、温暖化で季節が早まっています。すでに真夏日が出たところも。
東京地方も晴天で、じわじわと暑い。
七十二侯でいうと、
蛙始鳴 かわずはじめてなく
春先に冬眠から目覚めた蛙がウォーミングアップを終え、元気に活動し始める頃。オスの蛙の鳴き声は、メスの蛙を恋しがって鳴く声だともいわれています。
蚯蚓出 みみずいづる
冬眠していたミミズが土の中から出てくる頃。他の生き物は「啓蟄」の頃に出てきますが、ミミズはマイペースに活動を始め、土を肥やしてくれる影の努力家です。
・末侯 5月16日〜5月20日頃
竹笋生 たけのこしょうず
たけのこがひょっこり顔を出す頃。伸びすぎないうちに収穫しなければ、美味しいたけのこは味わえません。種類によって収穫期は異なるので、三月から六月頃まで収穫できます。
(この項、「暦生活」HPより)
最近は、筍も早め早めになっているようですし、銚子街道歩きでは、ミミズもけっこう道ばたに這い出しています。カエルの鳴き声も聞こえてきます。
5月に入って最近の東京地方の天気のように晴れると、「爽やかな」「五月晴れ」といったりますが、この表現が気になることも。
※「爽やかな」は、秋の、まさに澄んだ空に用いたように思うのですが。5月頃は「薫風」「風薫る」というような表現が適切だったような・・・。
※「五月晴れ」も本来は「梅雨時の合間の晴天」(旧暦の5月の、じめじめとうっとうしい雨が続く中、時に、すかっとした晴れ間がある。)を指していました。ところが、いつしか「5月」の晴れの日でも使われるようになり、今や、この言い方がすっかり定着したようです。
たしかに、二つとも、あまりこだわることはなさそうですね。
しかし、「梅雨」を指す「五月雨(さみだれ)」と、「梅雨のころの夜の暗さ」などを表す「五月闇(さつきやみ)」は、本来の意味で用いられています。
「立夏」というと、山口素堂(寛永19年~享保元年)の「目に青葉山ほととぎす初鰹」。
正しくは「目には」だそうですが。「青葉」も「ほとどぎす」も「初鰹」もいずれも夏の季語ですね。
「初鰹」に因んだ芭蕉の句碑が神奈川県の戸塚宿にあります。
「芭蕉句碑」(旧東海道歩きの際)。
「鎌倉を 生きて出でけむ 初松魚(かつお) 芭蕉翁」
当時鎌倉で水揚げされた初鰹は戸塚を通り江戸に運ばれました。嘉永2年、当地の俳人達によって戸塚にちなんだこの句の碑が建てられました(「解説板」)。
さらに、作詞:佐佐木信綱、作曲:小山作之助により1896年に発表された歌「夏は来ぬ」。こういう季節感、風物詩は、都会ではまったくなくなりました。
卯の花の 匂う垣根に
時鳥 早も来鳴きて
忍音 もらす 夏は来ぬ
さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗 植うる 夏は来ぬ
橘の 薫る軒端の
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌むる 夏は来ぬ
楝ちる 川べの宿の
門遠く 水鶏声して
夕月すずしき 夏は来ぬ
五月やみ 蛍飛びかい
水鶏鳴き 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ
つい口ずさんでしまう名曲。卯の花、時鳥、さみだれ、玉苗、橘、蛍、楝、水鶏、五月やみ、夕月、・・・季節感あふれる詩情。しかし、これらの風物も、すっかり忘れ去られてしまった感がします。
この歌すらも、忘れ去れてしまって・・・。
(「Wikipedia」より)
また、今日(5日)は、「こどもの日」。五節句の一つ「端午の節句」です。
以前ほど鯉のぼりをあげているおうちは少ないようです。ご時世でしょうか。
旧暦では午の月は5月に当たり、5月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、後に5が重なる5月5日が「端午の節句」の日になった。「端」(はし)は「始め・最初」という意味であり、「端午」は5月の最初の午の日を意味していたが、「午」と「五」が同じ発音「ウ-」であったことから5月5日に変わった。
日本では、菖蒲を髪飾りにした人々が宮中の武徳殿に集い、天皇から薬玉(くすだま:薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜った。かつての貴族社会では、薬玉を作り、お互いに贈りあう習慣もあった。宮中の行事については、奈良時代に既に「菖蒲のかずら」等の記述が見られる。
鎌倉以降の時代になると、「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、又、菖蒲の葉の形が剣を連想させる事などから、端午は男の子の節句とされたと仮説されている。そして男の子の成長を祝い、健康を祈るようになった。鎧、兜、刀、武者人形や金太郎・武蔵坊弁慶を模した五月人形などを室内の飾り段に飾り、庭前にこいのぼりを立てるのが、現在に至る典型的な祝い方である(但し「こいのぼり」が一般に広まったのは江戸時代になってからで、関東の風習として一般的となったが、京都を含む上方では、当時は見られない風習であった)。鎧兜には、男子の身体を守るという意味合いが込められている。
江戸時代迄、端午の日に子供は河原などで石合戦をする「印地打ち」という風習があったが、負傷者や死亡者が相次いだ為に禁止となった。また、印地打ちが禁止になった後、菖蒲を刀の代わりにした「菖蒲切り」というチャンバラが流行した。
端午の日には柏餅(かしわもち)を食べる風習がある。柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まっていった。
なお、男の赤ん坊を持つ家庭にとっては初節句となるため、親族総出で盛大に祝われる事も多い。特に、家意識が強い地域ではその傾向が顕著である。5月5日が祝日であり、更に、前後に祝日を伴う春の大型連休期間中であるため、雛祭り以上に親族総出で祝われる。
日本においては、女性が田植えの前に穢れを祓う斎戒を五月忌み(さつきいみ)と呼ばれた。また「フキゴモリ(葺き籠り)」と称して、5月4日(端午節の前夜にあたる)には、男性が戸外に出払い、女性だけが菖蒲やヨモギで葺いた家の中に閉じこもって過ごす習俗があった。「菖蒲の節供」は元々女性の節句だったとする説がある。
また、5月4日の夜から5月5日にかけてを「女天下」と称し、家の畳の半畳分ずつあるいは家全体を女性が取り仕切る日とする慣習を持つ地域がある。
(この項、「Wikipedia」参照)
そうそう、こんな歌も思い出しました。
「背(せい)くらべ」海野厚作詞・中山晋平作曲
柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽たべたべ 兄さんが
計ってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何のこと
やっと羽織の 紐のたけ
柱に凭れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸していても
雪の帽子を ぬいでさえ
一はやっぱり 富士の山
いよいよ田植えも盛んに
(水郷にて)。向こうは、利根川。
次の二十四節気は「小満」。5月20日になります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます