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(写真は、「暦生活」より)
暦の上で今日が「24節気」の2番目「雨水」です。「立春」から数えて15日目ころ。3番目の「啓蟄」(3月5日)までの期間を指します。
雨水(うすい)とは、降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃のこと。草木が芽生える頃で、雨水は農耕を始める時期の目安とされてきました。春一番が吹くのもこの頃ですが、本格的な春の訪れにはまだ遠く、時に大雪が降ったりもします。
『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。実際は積雪のピークであり、それゆえ、この時節から寒さも峠を越えたと見ることもできる。(「Wikipedia」より)
日本海側などの大雪・寒波は、今日からまだまだ続くようです。来週初めころには収まってくれるといいのですが。
しかし、三寒四温を繰り返しながら、本格的な春に向かいます。
※「三寒四温」=寒い日が三日ほど続き。その後四日間ぐらいは暖かくなること。これを繰り返しながら、だんだん春らしく、暖かくなる。この言葉は、もともと中国東北部や朝鮮半島北部で、冬の時期に、寒さと暖かさの周期を表す言葉として使われ、その後、日本に伝わりました。しかし、「西高東低」の気圧配置が続く日本の冬にはあてはまらないようです。
日本では早春になると低気圧と高気圧が交互にやってきて、低気圧が通過し寒気が流れ込んで寒くなった後、今度は高気圧に覆われて暖かくなり、周期的な気温の変化を繰り返すことが多くなります。このため、日本においての『三寒四温』という言葉は、寒暖の変化がはっきりと現れる春先に用いられるようになりました。
※一方で、インフルエンザが相変わらず流行中。さらに花粉症が大流行の兆し。今日あたりでも、皆さん、しっかりマスクを着用しています。高齢者など、かえって油断してはならない時期となっている、とも。
「七十二侯」で区切ると、
土脉潤起 つちのしょううるおいおこる
冷たい雪が暖かい春の雨に代わり、大地に潤いをあたえる頃。寒さもゆるみ、眠っていた動物も目覚めます。
霞始靆 かすみはじめてたなびく
霧やもやのため、遠くの山や景色がほのかに現れては消え、山野の情景に趣が加わる頃。春に出る霧を霞(かすみ)と呼び、夜の霞は朧(おぼろ)と呼ばれます。
- 菜の花畠に、入日薄れ、
見わたす山の端、霞ふかし。
春風そよふく、空を見れば、
夕月かかりて、にほひ淡し。 - 里わの火影も、森の色も、
田中の小路をたどる人も、
蛙のなくねも、かねの音も、
さながら霞める 朧月夜。
朧月夜(おぼろづくよ、おぼろづきよ)
『源氏物語』の登場人物。六の君、有明の君、尚侍君(かんのきみ)とも呼ばれる。
※「花宴」の巻で初めて登場し、以降、「葵」、「賢木」、「須磨」、「澪標」、さらに「若菜」上下などに登場する。
「朧月夜」は、大江千里の和歌「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしく(似る)ものぞなき」を口ずさみながら源氏のもとに現れるところから物語が展開する。当時権勢を誇った桐壺帝の右大臣の六の君(六番目の娘)で、弘徽殿女御の妹という高貴な生まれで、艶やかで奔放な気性の女君。
姉弘徽殿女御の産んだ東宮(後の朱雀帝)の女御に入内する予定だったが、宮中の桜花の宴の夜に思いがけなくも光源氏と出会い、後に関係が発覚して入内は取り止めになる。葵の上の死後、右大臣は源氏と結婚させることも考えたが、弘徽殿女御が猛反対し、源氏自身も既に紫の上を妻にしていたため実現しなかった。
後に尚侍(ないしのかみ)となって弘徽殿に移る。その美貌と当世風で華やかな人柄から朱雀帝の寵愛を一身に受ける一方、源氏との逢瀬も密かに続けていた。朱雀帝は自身が源氏の魅力に及ばぬことを認め、朧月夜を責めなかったが、彼女との関係が発覚したことが右大臣と弘徽殿大后の怒りを買い、源氏須磨流しの一因となった。
源氏が須磨に流されていた時に父の太政大臣(元右大臣)が死去。朱雀帝退位の後に再び源氏と関係を持つが、最後は源氏にも告げずに院の後を追い出家、物語から退場する。
※「右大臣」は、源氏の政敵。源氏は、政敵の娘との恋愛関係になった。源氏が20歳のころ。
(この項、「Wikipedia」参照)
・末侯 2月29日〜3月4日頃
草木萌動 そうもくめばえいずる
足もとや庭木の先にほんのりと薄緑に色づく芽が見られる頃。やわらかい春の日差しの中、草木が芽吹き、新しい命が生まれます。
「ふりそでやなぎ」。(「向島百花園」にて)
(この項、「暦生活」HP等参照)
「雨水」にお雛様を飾れば良縁に恵まれるとされ、地方によっては、お雛様を飾る風習があるようです。
「雨水」を「天水・あまみず」ととらえると、「墨田区役所」交差点にある、
「ミニ・ダム」雨水を資源に活用しましょう。
雨水タンクの設置助成
墨田区が発信した雨水利用は、世界に広がっています。節水にも一役を買う雨水タンク、設置してみませんか?
雨水利用は……
- まちに小さなダムをつくり、水源を確保します
- 雨水を貯めるので、都市の水害防止につながります
- 災害のとき初期消火の水や生活用水に使えます
- ヒートアイランド対策として打ち水に使えます
(「墨田区」HPより)
たしかに街のあちこちで見かけます。
言葉 獺魚を祭る(かわうそをまつる)
中国古代の天文学での七十二候では、雨水の初候は「獺祭魚(かわうそをまつる)」でした。かわうそが捕らえた魚を川岸に並べている様子が、人が祭りのときに物を供える様子に見えたことから生まれた季節の名前です。
(この項、「暦生活」HP等参照)
正岡子規は、雅号として「獺祭書屋主人」を使っている。そのため、9月19日の命日を「糸瓜忌」と並んで、「獺祭忌」とも呼ばれている。
「獺祭」という日本酒。同社のHPには「獺祭」命名由来を以下のように語っている。
『弊社の所在地である獺越の地名の由来は「川上村に古い獺(編集部注:かわうそ)がいて、子供を化かして当村まで追越してきた」ので獺越と称するようになったといわれておりますが(出典;地下上申)、この地名から一字をとって銘柄を「獺祭」と命名しております。獺祭の言葉の意味は、獺が捕らえた魚を岸に並べてまるで祭りをするようにみえるところから、詩や文をつくる時多くの参考資料等を広げちらす事をさします。獺祭から思い起こされるのは、明治の日本文学に革命を起こしたといわれる正岡子規が自らを獺祭書屋主人と号した事です。「酒造りは夢創り、拓こう日本酒新時代」をキャッチフレーズに伝統とか手造りという言葉に安住することなく、変革と革新の中からより優れた酒を創り出そうとする弊社の酒名に「獺祭」と命名した由来はこんな思いからです。』
(この項、「風の旅行社」HPより)
東京・向島百花園では「梅まつり」が行われていますが、各地では、早くも桜の開花が。
ここは、すでに満開の「寒桜(元朝桜)」。
眼下に南房総の海。(2024年1月27日。南房総市にて)
次は、「啓蟄(けいちつ)」3月5日(水)。
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