右肩を骨折して2か月が経ちました。まだまだ思うように右手が動かせず、リハビリが続きそうです。
それでも次第に普段通りの生活が出来つつあります。
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さて、「中原街道」歩きの初日・最終回。
「中原街道」。
「呑川(のみかわ)」。
※「どんかわ」ではない。
呑川という名称の語源として、その昔ウシが誤って川に落ち水を飲んでしまうことがあったから、などといった説がある。
坂道が続きます。
「東急池上線・雪谷大塚駅」。
「環八通り」をくぐり、
左の道を進みます。
「桜坂」。
東急多摩川線沼部駅から東光院前を通り北東へ向かうと、田園調布本町19番あたりから石垣にはさまれた切通しの坂道になります。これが桜坂で、坂名は坂道の両側に昭和初期に植えられた桜にちなむものです。
この坂は旧中原街道の切通しで、昔は「沼部の大坂」といい、勾配がきつく荷車などの通行は大変であったようです。また、かつてこのあたりの村落(沼部の村落)は荷車、旅商人の往来でにぎわい、腰掛け茶屋などが坂道の両側にあったともいわれています。
坂下には、かつて六郷用水が流れていたましたが、下水道の普及につれ、この用水も埋められました。しかし、少しでも昔の姿を残そうと、その一部を自然の湧水を使って「六郷用水の跡」とし、現在は保存しています。
(「大田区」より)
ここは、福山雅治の曲にうたわれて有名になった「桜坂」。
♪君よずっと幸せに風にそっと歌うよ愛は今も 愛のままで 揺れる木漏れ日 薫る桜坂悲しみに似た 薄紅色 君がいた 恋をしていた君じゃなきゃダメなのにひとつになれず
切通しに架かる赤い橋。
振り返る。
この坂道は、旧中原街道の切通しで、昔は沼部大坂といい、勾配のきつい坂で、荷車の通行などは大変であったという。今では緩い傾斜道となっているが、坂の西側に旧中原街道のおもかげを残している。坂名は両側に植えられた桜に因む。
曲名のモデルとなった場所は、『未来日記V』のロケ地でもあった東京都大田区にある桜坂だった。福山はデビュー前に桜坂の近所に住んでいたことがあり、当時の思いや現在の心境を詞をつづり、メロディーを付けたという。桜坂は観光名所となり、『未来日記V』の舞台となった当地の陸橋には落書きや恋人同士の愛の誓いが書き込まれたこともあった。・・・
福山雅治本人のコメントによると、ドラマ『ひとつ屋根の下』(フジテレビ)が終了したあと川崎から沼部駅周辺へ引っ越した。沼部駅近くの中原街道に「桜坂」があり、当時よくその坂を通っていた想いからタイトルを「桜坂」にしたと由来を語った。
(この項「Wikipedia」参照)
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その先には、「六郷用水」跡があります。
東急多摩川線・沼部駅。
その先、「多摩川」土手沿いの道を進むと、
「丸子橋」が見えてきます。土手に上がると、
目の前に河川敷と「丸子橋」が。
「丸子橋」。上流方向。
「丸子橋」手前の河川敷付近にかつての「丸子の渡し」跡があります。
下流方向。新幹線が通過中。
都県境歩きの後半、神奈川と東京の境にもなっている「多摩川」を歩いて河口まで下りました。
久々の多摩川でした。
「丸子橋」から対岸の神奈川県へは次回に。
今回は、ここまで。
沼部駅に戻ります。
東急線路線図。
この付近は、東急の路線が至るところに。初めて乗る「多摩川線」で「蒲田」まで戻り、JR線に乗り換えます。
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