おやじのつぶやき

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読書「鮨そのほか」(阿川弘之)新潮社

2013-08-07 19:35:03 | 読書無限
 背表紙に本の題名。あとがきで阿川さん曰く「70年近い我が文筆生活を締め括る最後の一冊となるだらう。私個人にとっては遺品なみのものなので、安岡家遺族二人にも届けたい」と。

【参照】
阿川弘之さん新刊「鮨 そのほか」 全編を貫く亡き友への追憶
(「産経新聞」2013.6.12より)

 新刊『鮨 そのほか』(新潮社)を手にインタビューに答える阿川弘之さん

 小説『雲の墓標』や評伝『山本五十六』などで知られる作家の阿川弘之さん(92)が、“最後の著作”と銘打った短編集『鮨(すし) そのほか』(新潮社)を刊行した。巻末で「七十年近い我が文筆生活を締め括る最後の一冊となるだらう」と記す阿川さんに、本作に込めた思いを聞いた。
 平成22年末、満90歳を機に作家活動から引退した阿川さん。一昨年から都内の療養型病院に入院し、読書三昧(ざんまい)の日々を送る。「長く話すと疲れるから」と見舞いは原則断っているが、体調は悪くないという。「今は晩酌にビール1本飲むのが楽しみかなあ」
 今作は、近作の短編小説や随筆の中から、単行本や全集に収録されていない作品を選んで1冊に編んだ。
 表題作の短編「鮨」は、阿川さん自身とおぼしき主人公が、地方での会合帰りに持たされた巻きずしを捨てるに捨てられず、列車内で思案した末に東京・上野駅の浮浪者に手渡す話。食べ物を粗末にはしたくない、だが浮浪者が受け取らなかったらどうするか…。悩む微細な心理のひだを、端正かつ少しユーモア漂う筆致で描き出す。阿川さんの文学上の師である志賀直哉の名作短編「小僧の神様」を思わせる作品だ。
 「ちょっと似たような経験はしているけれど、(実話ではなく)作り話ですよ。(今読み返して)割によく書けていると思う」
 巻を貫く基調は、亡き友人知人への追憶だ。ともに“第三の新人”と呼ばれた吉行淳之介や遠藤周作、安岡章太郎をはじめ、阿部昭、宮脇俊三、北杜夫…。同時代を生きた作家らに話が及ぶとき、阿川さんの慨嘆は深い。「吉行が亡くなって19年、遠藤が亡くなって17年。北も安岡も、みんないなくなっちゃって…」
 先立った友への思いは、遠く青春時代にも及ぶ。収録作の一つ「私の八月十五日」は、毎年の終戦記念日にメディアで交わされる空々しい戦争論議を避けて、自宅で黙って過ごしていることを書いた随筆だ。阿川さんの海軍予備学生時代の同期は、約2割が戦死している。「一つ違っていれば、自分が死んでいても少しも不思議でなかった」
 彼らの心情について、自分の知る本当のことを書き残しておきたい。阿川さんの創作活動の原点になったその思いは、「最後の一冊」とうたう本作でもなお健在だった。(磨井慎吾)

 自他共に認める徹底した保守主義者。志賀直哉に内弟子として薫陶を受け、時代に媚びることのない折り目正しく淡い情感が随所に込められた文体や表現は、まだまだ健在。といっても、「最後の著作」ではあるが、最新作というわけではなく、これまで収録されていなかった作品をまとめたもの。その一つひとつに、短気で頑固な自分本位ともいえる一面を披瀝しながら、軽妙洒脱でユーモアたっぷりの文章は、小気味よい。
 歴史的仮名遣いの文体も、それ感じさせないくらい抵抗感はない。丸谷才一さんも歴史的仮名遣い派ではあったが、欧米文脈にも通じた方だったので、独特の味わいがあった。それに比べると、この方は、日本文学の伝統的な書き手という感じ。
 この本では、第三の新人と言われた作家グループの遠藤周作や、吉行淳之介、北杜夫、安岡章太郎、小島信夫とのやりとり、交友が対談や思い出を通してほのぼのと描かれている。文壇という「世界」を垣間見る思い。先立つ旧友、知人、縁故者への切々たる思いが伝わってくる。
 思想・信条など、「産経新聞」「文藝春秋」好みのため、多少の違和感も残るが、筆者の、青春時代から「死」にいやおうなしに直面し、今、こうして最晩年を迎える「作家・物書き」としての穏やかな心境は、凡人ではそう簡単には手に入れられないものであることを、痛感。


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