おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その9。長須賀。べにや。汐留橋。館山駅。北条海岸。特急「新宿さざなみ」。「房総東往還」完結。(「房総東往還」を歩く。第10日。)

2024-02-17 19:51:08 | 房総東往還

かつての街道筋の雰囲気。

長須賀。

「べにや」。

                                                                          「見世(店)蔵」。

館山市の長須賀交差点前の金物店「紅屋商店」の店舗と主屋は平成19年7月31日に国登録有形文化財(建造物)に指定されました。

【国登録】原簿記載:平成19年7月31日 官報告示:平成19年8月13日
【登録番号】店舗:12-0071号 主屋:12-0072号
【年代】店舗:大正13年(1924年) 主屋:昭和元年(1926年) 
  
 館山市長須賀は、境川と汐入川に挟まれ、この二つの川と館山湾が形成した砂州に町場が形成されています。江戸時代から、館山に向かう房総往還に沿って、北側の新宿から続く町並みがありました。
 明治11年(1878年)、新井に館山桟橋が整備され、東京と館山が汽船で結ばれるようになると、千倉や白浜方面からの荷が集まるようになり、桟橋に近い館山下町と長須賀の古い町場との間の通り沿いに、商店が立ち並ぶようになりました。
金物を扱う紅屋商店は、現在の南房総市和田町にありましたが、明治26年(1893年)に現在の地である館山市長須賀に移転、当時使用していた建物を和田から移築し、長須賀で開業しました。しかし、大正12年(1923年)の関東大震災で店舗、住宅ともに倒壊しました。
 いち早く復興し、商売再開のために店舗として活用されたのが、地震に耐えて残った蔵です。現在の紅屋商店店舗は、近くにあった店蔵を移築したものです。店舗2階に残る墨書から、大正13年3月に作業が完了したことがわかります。
震災後、長須賀一帯には、蔵を活用した店舗が数件あったといいますが、現存するのは紅屋商店店舗のみです。1・2階とも漆喰塗りの防火扉が設置され、震災復興期の店舗建築の特徴をあらわしています。
 主屋は店舗側面(東側)に接続し、1階は8畳間の仏間、2階は床・棚・付書院の8畳の座敷と8畳の次の間からなります。

震災に耐え、倒壊をまぬがれた店蔵を活用した建造物として、大変貴重なものです。また、ほぼ同時に建てられた主屋は、店舗との繋がりをもち、当時の住まいの形態を今に伝えてます。
※主屋の一般公開はしていませんので、ご了承ください。
<平成24年3月 館山市教育委員会>

(この項、「」HPより)

右折します。この通りにも昔風の建物があります。

               

 

商家風の建物が多い。

この付近の今昔。

(1880年代)。←が「房総往還」旧道。東側に街並み。

(現在)。○のところに「べにや」。

かつての館山の街並みは「潮留橋」から西側に「館山城」下町として広がっていたようです。新宿町から長須賀は商業(海運)の町として賑わっていました。

ところで、館山市とは?

中世には戦国大名里見氏がこの地を治め、1580年(天正8年)、里見義頼は、水軍の拠点として利用していた館山湾を望む独立丘に館山城を築いた。現在は城山という名で呼ばれるこの独立丘には、里見氏の築城以前にも城館が構えられ、ここから館山という名で呼ばれていたようである。館山城は曲亭馬琴南総里見八犬伝』の舞台ともなっている。

1591年(天正19年)、里見義康は里見氏の本拠を館山城に移すと、城山の周囲に家臣の居住地を造るとともに、その北側に商人・職人を集めて海に面した城下町を形成した

1781年(天明元年)、稲葉正明が加増を受けて大名となり、1万石の小藩として館山藩が立藩する。ただし、藩士の大部分は江戸屋敷に勤務し、藩行政の中心も江戸にあった。2代藩主稲葉正武は、城山のふもとに陣屋を構え、藩士の屋敷地も設けられた

昭和時代に入ると木更津と並ぶ軍都として発展する。その後、地方港湾特定地域振興重要港湾館山港を有する港湾都市へと整備が進んでいる。

館山湾は別名鏡ヶ浦とも呼ばれ、日本百景日本の夕陽百選、東京湾100選、房総の魅力500選恋人の聖地に選定されている景勝地に市街地が面している。館山市からの富士として、北条海岸城山公園、伊戸下芝などは関東の富士見百景に選定されている。

市中心部は内房線沿線、特に館山駅周辺に住宅地や商店街が立ち並ぶ。安房地域における人口・商業・産業集積の場となっており、政治・経済・文化の中心都市としての性質をもつ。

※上述のように、館山駅付近、海岸付近に商業施設や住宅が並ぶ。かつての往還通りは静かな街並みになっています。

「汐留橋」。

「房総往還(船橋~館山)」との合流地点。ここが終着地ということに。

※「房総往還」は、この先、かつての館山城下町まで続きます。

「汐入川」下流。房総往還が右岸沿いに。

ここで、浜野~大網~茂原~上総一ノ宮~御宿~勝浦~鴨川~館山、と続いた「伊南房州通往還(房総東往還)」を完結。

JR内房線「館山駅」まで戻ります。

昼食に駅前で「クジラ肉カレー」を食べました。肉片が真っ黒。

特急の発車時間にはまだ時間があるので、北条海岸まで歩きます。

穏やかな海。

                  

内房・那古方向。 

「特急・新宿さざなみ」。

               

夕刻迫る館山駅。

          

船橋に戻るころにはきれいな夕日に。

   

さて、次回の歩きは? 大網から銚子まで歩くことにしますか。


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