JR内房線「浜野駅」
伊南房州通往還(いなんぼうしゅうつうおうかん)は千葉県千葉市中央区浜野から外房を通り館山市北条に至る街道である。茂原市までの一部は「茂原街道」と「大網街道」として構成されている。別称は「房総東往還」である。
千葉県の外房の大部分を通っており、現在は県道14号と国道128号が当街道に沿う形で建設された。しかし、元禄地震・関東地震(関東大震災)などの東京湾地下の相模トラフ巨大地震や慶長地震などの房総沖地震、千葉県東方沖地震などにより隆起・沈没、樹木の倒壊、地質が軟弱のため土砂崩れが起こるなどしたため道順は度々変化している。また、正確な成立年は不明である。なお、「伊南」とは中世の上総国夷隅郡に作られた荘園である伊南荘に由来する。当街道は江戸時代には確立しており、内房の房総往還、外房の伊南房州通往還、銚子街道、成田街道(佐倉道)と共に多くの生活路・輸送路として役割を果たした。
主な地名(市・町)をつなげると、
浜野~大網~茂原~一宮~大原~御宿~勝浦~安房小湊~鴨川~和田~館山
《浜野から館山までの約132km+α》
浜野付近の今昔
(1880年代)赤↓:茂原街道、青↑:大網街道
蛇行して進んでいるのが「房総往還」。この頃には、茂原街道ルートが主流になってきているようです。
(現在)茂原街道ルートは線路のため迂回。
・茂原街道ルート
千葉市中央区「浜野」交差点の房総往還から分岐する。「高師」交差点で国道128号(大網街道ルート)と合流する。
「浜野」。
房総往還と分岐する。手前の道が茂原街道、正面が房総往還。
茂原街道は大きく右に曲がり、浜野駅付近から南東へ、大網への道は北東へ。
内房線「西雷(にしらい)踏切」を渡って進む。
前方に「東関東自動車道」高架。下は国道16号線。
交差点名は「生実(おゆみ)」。
※「生実」は難解地名の一つ。生実町は、かなり古い町で、実は幕府の藩があった町。元々は『小弓城』だったのが、後に『生実』と改められ、それが地名となったようです。
田畑が広がる。
「生実町五差路」を左折。
左手には「本満寺」。
この先を左折し、上り坂を進みます。
落ち着いた住宅地を抜け、「北生実上宿」信号を右折。
通りの向こう、左手奥の森には「生実陣屋跡(森川陣屋跡)」、「生実城空堀・土塁」等がある。
また、通りの向こう正面には、「北小弓城 大手口跡」碑がある。
しばらく進むと、右に旧道が少し残されています。
旧道から通りの向こうに続く旧道を望む。
外房線に近づきます。
しばらく線路沿いに進みます。
線路をくぐり反対側に。
「鎌取十字路」。
現在の「大網街道」と合流します。
「鎌取駅」から住宅地を進みます。しばらく歩き、「野田十字路」へ。
旧道に復帰。
大きなおうちが目立つ。
旧道らしい道筋。
土蔵。
左手に「五日堂」。
日浄上人他僧俗五名処刑殉難之霊地。
GSのところから右手に入るのが旧道。
「誉田駅」。
※ここまでが第一日目でした。
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