おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

国鉄下河原線跡をたどる(「国分寺」~「東京競馬場前」)その2

2013-02-03 13:04:05 | 鉄道遺跡
 この緑道にはオートバイなど車の通行が禁止のため、歩行者や自転車が往き来してけっこう賑やか。よく整備された道沿い、灌木や草花が植わっていて、「緑道」らしい雰囲気。車の通りが激しい「府中街道」の歩道に比べ、断然安心な道。
説明版。「その1」での説明内容とほぼ同じですが。(枕木を再活用しているのが、いい。)

 明治43年(1910)東京砂利鉄道として主として多摩川の砂利運搬を目的に国分寺・下河原(府中市南町3丁目)間に開通しました。
 大正9年(1920)に国有の貨物線となり下河原線と改称・・・
 ここに残る線路は今はなき下河原線を記念してその一部を残したものです

道路をまたいで線路が埋められている。
ほぼまっすぐな線路跡の緑道が続く。
線路(跡)脇。草木に埋もれて「踏切事故者」の供養碑がひっそりと。花が手向けられてあった。
在りし日の「下河原線」のようす。のどかな田園風景が広がっています。
川べりを行く汽車。
JR南武線の跨線橋。なだらかな坂が長く南に下っていく。このあたりは、鎌倉街道など歴史的な道筋があって、説明碑が立てられている。
交差する鎌倉街道(坂を下りきったところ)から来た道を望む。
道ばたの草むらの中に、線路際などに見かける赤さびた柵。遺構?
東京競馬場前方面との分岐。右が多摩川方向。中央高速の高架橋をくぐってから西南にカーブし、多摩川に向かう。左が競馬場方面。線路(跡)は、競馬場に向かって急カーブで東南に進む(約0.5㎞)。
「しばまみち」という道しるべ。
来た道を振り返る。
「電車ごっこ」と題されたブロンズ像。
広々とした空間。終点の駅舎は、このあたりにあったのか。
競馬場に向かう人びとは上に南武線が通る地下道を抜けて向かった。
「川崎街道」という道しるべ。「府中街道」は「川崎街道」とも。競馬場の西側をかすめ、神奈川県川崎まで続く道。
「東京競馬場」は中央左奥に広がっている。
 この項は、以上で終了。「府中本町」(武蔵野線の終点の駅)から「西国分寺」まで戻った。歩いた距離は、約6.5㎞。機会があったら、多摩川方面に向かった下河原線跡をたどってみよう。
 

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