おやじのつぶやき

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清澄庭園・旧東京市営店舗向住宅。臨海公園(臨海小)。(震災復興52小公園。その15。)

2013-12-04 20:45:52 | 震災復興小公園
 今度は、区立臨海公園と臨海小学校へ。門前仲町の南西。その途中、興味深い建物群。実は、これも関東大震災復興事業の一つ。

「旧東京市営店舗向住宅」

 「清澄公園」のすぐ東隣に接し、「清澄通り」沿いに建つ旧東京市営店舗向住宅。延長、約200メートル。1階が店舗、2階が住居となっています。その歴史はかなり古く、1928(昭和3)年に竣工。大震災後の復興建築ということで、耐震耐火のための鉄筋コンクリートつくり。
「清澄庭園」と清澄通りに挟まれた細長い商店の連なり。かつては総戸数48戸あった、という。
 このように計画的に造られたのは、この清澄の鉄筋コンクリート商店群が初めての例、らしい。

 時代とともに外壁を改修したり、3階や屋上を増築した商店がほとんど。
増築した建物。壁面に階段状の模様。

 しかし、建物ごとの角には竣工当初からのアールデコ調の装飾も残されています。
すでに「築85年」のレトロ建築です。
なかなか渋い!

この一画。いつまでこのまま残っているのか? それにしても、今も現役というのがすごい! 

 門前仲町は、富岡八幡宮の門前町。
旧富岡橋親柱(油堀川公園内)。首都高速9号線の真下。かつての「油掘川」に架かっていた橋。油堀川は、正式には十五間川という名前で、隅田川から富岡八幡宮の北側を通り、木場に至る川だった。

 賑やかな商店街を抜けた右手奥にあるのが、「臨海公園」。

③臨海公園(臨海小)


 今はまったく海を望めるところではありませんが、かつては隅田川河口に臨む地域。その後、越中島などが干拓・開拓されていきました。
1880年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。のところが、現在の「臨海公園」付近。


1970年代のようす(「同」より)公園南の「大横川」に架かる橋が「越中島橋」。東南が越中島方面。隅田川河口の南西は、佃島方面。
 ちなみに、臨海公園から、お台場まで車で約7キロの道のり。

臨海小の校庭拡張の影響か、内側にカーブしたかたちになっている。校庭とのフェンス。
この辺りも、学童急増地域なのだろうか?
藤棚。
ミニアスレチック。

過去の水害の潮位が記されている。目の位置に堤防の高さ。ところが、東陽公園では、はるか高くにその線が。

「大横川」。
 江戸時代に埋め立てられた場所にできた運河で、竪川と大川(現在の隅田川)の間の十万坪と呼ばれる葦原を流れていた。
 現在、墨田区・業平橋(スカイツリー)付近で北十間川から分流して南へ。江東橋付近は、親水公園として整備されている。その南で、竪川、小名木川、仙台堀川と交差し、横十間川を合わせる。江東区木場付近で西に流路を変え、大横川南川支川を分流し、平久川と交差する。江東区永代で大島川西支川を合わせ、その先で隅田川に合流する。

橋から公園・学校を望む。川の左手に見える乗船場は、1998(平成10)年に運行終了した水上バス用のもので現在は廃止。

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