「虎ノ門駅」~「五反田駅」。その2。踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。「TORAMONHILES」「AZABUDAIHILLS」。芝地区旧町名由来板。東京タワー。野田岩。(「中原街道」をゆく。第1日目)
踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。
今度は、暮れの30日からインフルに。3日まで外出禁止。家でもジッと。
地下鉄の新駅をつくるための大工事中。
「TORANOMONHILLS」。
芝地区旧町名由来板
西久保巴町 愛宕山の西北麓に位置する町域です。慶長13年(1608)に天徳寺門前、および元禄年間(1688~1699)に下谷町と車坂町の代地となり、西久保新下谷町、西久保車坂町と唱えました。明治5年(1872)、浜田藩松平右近将監屋敷、西久保新下谷町、西久保車坂町、天徳寺地、同門前町および幕士の屋敷を合併して、新たに西久保巴町となりました。町名は、町内が南は神谷町境に延び、東は北西に屈曲し巴の形に似ていることに由来します。
葺手町 西久保巴町と西久保城山町とに挟まれ、西方は赤坂区および麻布区に接しています。むかしは幸橋門外の二葉町の続きにありましたが、元禄4年(1691)用地に召し上げられ、西久保の土取り場に代地を与えられました。土取場とは土木用の土砂を取り崩した場いい、葺手町と城山町の間の道を入った崖下にありました。町名の由来は明らかではありませんが、町の状況から屋根職人の人が多く居住した町と推測されます。
西久保城山町 西久保通りから葺手町と神谷町との境の道路に入ると、左手に西久保城山町があります。もとは、葺手町の土岐邸から町内にかけてを俗に城山と呼び、むかし、熊谷次郎直実、あるいは太田道灌が城塞を築いたという伝承があります。明治5年(1872)に池田甲斐守、小堀大膳、大久保隼人等諸幕士の屋敷を合併して、新たに西久保城山町としました。
その後の変容は驚くべきものがあります。
「キッチンDADA」。ビル街にあります。クラッシックなたたづまい
「西島眼鏡店」。大正時代から営業している、とか。お店を開けていたご主人と立ち話。
八百屋さんがあります。「芝八百宗商店」
高層ビルが乱立する中で、街道筋には昔からのお店などがあります。
z年末年始で人通りも少ない。外国人の姿が目につきます。
坂の階段の脇にはエスカレーターが。
「AZABUDAIHILLS」。
車の量も格段に少ない。
「東京タワー」が目に入ってきます。
ユニークな建物「ノアビル」。
「野田岩」。
一度、立ち寄ったことがあります。歴史を感じさせる雰囲気のある店構え。美味でした。
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