今年の元旦。年賀状。
「さて、私も馬齢を重ねて80歳となり、そろそろ「終活」を意識する年齢に差しかかりました。 人生の節目ということで、年賀状によるご挨拶は本年を限りに最後とさせて頂きたく存じます。 ・・・」
というハガキだけでなく、
そして、今年、高校時代の親友が亡くなって、奥さんから喪中はがきを受け取る時節になりました。
という小生も、去年で年賀状終い。
いっときは、100枚以上を出していた時期も。「旧年中はお世話になりました」「今年もよろしく」「お元気ですか。お会いしたいものです」という文面がかえって懐かしくなります。
そういえば、来年の干支は何のか? 年賀状に押すイラストで気づくこともなくなるか。
※2025年の干支は、巳「巳(ミ)」。 ヘビは脱皮しながら成長するため、「生命」や「再生」の象徴とされています。 現在でも全国各地でヘビを崇める風習が残っており、ヘビは金運にも恵まれるという言い伝えがあります。
※おのれつかず「己」、すでに半ば「已」、みいっぱい「巳」。
「伊豆島の大蛇全3ヶ所の東側」(蓮田市黒浜)。「元荒川」歩きのとき。
※この付近が、蓮田市とさいたま市岩槻区の境界線になります。
集落内の1軒に1人が夕方(3時頃)集まり、御神酒で清め「家内安全・五穀豊穣」も祈りながら作られ、「上顎」・「下顎」・「胴体」を別々に作ります。胴体は細く作りますが、これは何でも悪いことは食べてしまうようにとの願いが込められています。
胴体の巻き方は、注連縄と同じ「左巻き」に撚って作られています。藁で全長約2メートルに作り上げられた大蛇は、「破竹(はちく)」と呼ばれる竹に刺し、現在は3ヶ所に立てられています(東岩槻方面への新たな道路の完成によるため)。以前は、大蛇と共に榛名神社のお札(家内安全・五穀豊穣)を辻札として立てていたようです。これは春祈祷行事も兼ねていたものと思われます。
かつて、向いの笹山地区でも実施されていましたが、現在は行われていません。
「伊豆島の大蛇全3ヶ所の北側」。
(この項、「蓮田市」HPより)
へびうり。
面白い奇妙な姿かたち・色あい。(「向島百花園」にて)
ここで、年賀状のつぶやき編。但し、前年の年賀状のたわごと。
懐かしいね、先輩達も。手書きから干支のはんこでセッセと書いては、出していたんだから。
そういえば、何ていったけ? 昔、一枚一枚、俺たちの先輩たちを挟んでシュッパって光線を浴びさせて、やっていたよね。
たしか「プリントゴッコ」とかいったんじゃなかったっけ。
理想科学工業がかつて販売していた家庭用簡易孔版印刷機である。1977年(昭和52年)から2008年(平成20年)まで販売された。
透明フィルムカバーを跳ね上げ、専用インクを乗せた上で製版時と同様にプリンターの枠側内部に取り付け、印刷台に印刷用紙を乗せて圧着することでインクがマスターの樹脂溶解部分から紙に転写される、って「Wikipedia」では解説されているけど。
一瞬目がくらんだよね、いきなり先輩達の身体が焼き付けられるんだから。
懐かしいよね、その後はPCでやるようになって、いつしか無くなった。
今度は背中から押し込められて、すぐに完成品さ。住所も手書きでなくなるし。
でも、ここの爺さんは、住所だけは手書きで書いているよね、変なポリシー、こだわりがあるよね。
さてと、こうして元旦から一年間、この家にやっかいになっていたけど、そろそろお役御免かな。
そうそう、俺たちを参考にしながら、年賀状を書く風習だからね。
シュレッダーにかけられて粉々に。
・・・
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