正面に川崎駅付近の高層ビル。
「多摩リバー50㌔(実際は、53㌔)残り4.5㎞た」。
対岸には、「ラジオ日本」の電波塔。
「海から7.8K」。
運動広場。ランナーが練習中。
四阿で小休止。
隣に植わっている木が気になる。
「ブラシの木」。
マキバブラシノキ(カリステモン)属は、オーストラリア全域からニューカレドニアに30種が分布する低木から高木の常緑性花木です。ブラシノキの最大の特徴は花の姿で、ビンを洗うためのブラシそっくりの姿です。そこで英語ではボトルブラッシュと呼ばれます。庭木のほか切り花や枝ものとしても生産されています。日本で流通しているマキバブラシノキ(カリステモン)属には、ブラシノキの和名をもつスペキオスス(Callistemon speciosus)、ハナマキの和名でキンポウジュの別名をもつキトリヌス(C. citrinus)、シロバナブラシノキの和名のサリグヌス(C. salignus)、シダレハナマキの和名のウィミナリス(C. viminalis)があります。そのほか、ハナマキにはいくつかの園芸品種が流通しています。
(「みんなの趣味の園芸」HPより)
家の近所のお宅にもあります。見事!
鮮やかな真っ赤。満開です。
・・・
さて、
「海から7K」。
道路上に大書。「7.0→」。「利根川」では、よく見かけましたが、「多摩川」左岸では、初めて。
東海道線と京急線が並行。
「海から6K」。
ゴルフ練習場の向こうに、都県境になる「六郷橋」。
右が東海道線。左が京急線。
橋のたもとにある「旧六郷橋」。
以前、来たときの記事を再掲。・・・
六郷橋脇(大田区側)の宮本台緑地にある1925年の橋門と親柱。
親柱。
橋門の柱の意匠。大正期のモダニズムがうかがわれる。
橋脇の手すり。
橋門上部。アーチが見事。
公園から多摩川方向を望む。
説明板。
ここには、「左内橋」(木造)の写真と1925年架橋の橋の写真がある。
※「左内橋」とは?
左内橋
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1874年(明治7年)1月に鈴木左内が私費で六郷の渡しに橋を架けた。この橋は左内橋と呼ばれ、長さ60間(109m)、幅3間(5.5m)の木橋で、通行料を徴収した。それまで度々架けられていた橋と同様に、この橋も1878年(明治11年)9月に発生した多摩川の洪水で流されてしまう。ただ、左内橋は写真と浮世絵にかつての六郷の記憶として残されている。 |
(この項、「niftyホームページサービス」より)
1984年12月、架け替えのための解体・撤去作業中に橋桁が落下し、死傷者18名を出す事故となった。橋門の柱にはこのときの事故で亡くなった5人の氏名と、作家の森村桂による鎮魂の詩が刻まれたプレートが取り付けられている。
雄々しい五人の男たちへ
星がひときわ美しくまたたいた翌朝、
橋造りに命をかけた男たちが、
星の国へいってしまいました。
どうか、天国で、
こんどは、虹の橋を造る仕事をして下さい。 森 村 桂
金子義男 菊池幸雄 小俣方一男 鈴木司郎 三宅郁夫 (1984・12・14)
・・・
「六郷土手駅」前の通り。
20年くらい昔、この近くに知人が住んでいたので、何度か下車した駅。当時とあまり変わらない印象。
京急線「六郷土手駅」。
次回は、いよいよ河口まで。
振り返って、ここまで利用してきた私鉄は、京成、東武、西武、小田急、東急、京王、そして京急。
東京近郊の私鉄を北東から北西へ、そして南西から南東へ、順繰りに利用してきた感じ。
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