1月27日(土)晴れ。いよいよ「房総東往還(伊南房州通往還)」最終日となりました。
途中、旧道を歩くだけではなく、タクシーを利用したり、バスに乗ったり、省略したところもあったりして、・・・。
「江見駅・江見郵便局」に下車。郵便局は閉まっています。
旧道に復帰します。
洲貝川。
しばらく進み、「国道128号」に合流します。
国道から右の旧道に入ります。
ふと左の柱に※「綱吊り」=「道切り」の一種、片草鞋が吊るされています。
地元の方にお聞きしたら、「最近は、新型コロナとかインフルとかがはやっているので、その侵入を防ぐために吊るしてある。昔からの慣習です。でも、最近は、草鞋を編む人もいなくなって・・・」と。
鴨川市から南房総市に入ります。
「またどうぞ鴨川へ」。
すれ違った散歩中の地元の方から「桜が咲いて見事ですよ、ほら、あそこの高台。行ってみて下さい。この先を右に曲がって踏切を越えると、すぐですから。」と。
さっそく寄り道をします。
坂道を上がっていきます。と、満開の桜並木。
遠く、南房総の海が見下ろせます。
ここは、抱湖園。
全国的に有名な花の産地である南房総市和田町にある「抱湖園」は、当地に花栽培をもたらした偉人、間宮七郎平が開いた庭園です。元々薬剤師であった間宮七郎平は、花づくりによって半農半漁で生計を立てる民を救いたいという想いから、花栽培に取り組みました。安房で初めて花栽培に成功し、自らくわを持って山を切り開いて花木を植栽。この際に植えられた寒桜は、旧暦の元日朝に咲くことから「元朝桜」と名付けられました。毎年1月下旬〜3月末頃になると、約60本の元朝桜と菜の花が見事に咲き誇ります。
(この項、「ちば観光ナビ」HPより)
※旧暦の元旦。今年は、2月10日(土)。
子供連れの家族。「いつもは、2月になってから咲き始めるのですが。」
※この日は、1月27日(土)でした。
菜の花畑。
蘇鉄の奥に梅、桃。
「第二花園踏切。」。
すばらしい槙の生垣が続く。
右手に大きなお屋敷。
???
「←花嫁街道・和田浦駅→」。
槙の生垣。
房総往還歩きの時、館山近くですばらしい「槙のつらなり」を見ましたが、ここもすばらしく見事です。
この先で内房線の踏切を渡ります。
内房線「和一号踏切」。
内房線「和田浦駅」。
フェニックスの大木。
待合室で休憩。
抽象画が飾られています。
ここ南房総では、17世紀頃から小型船による沿岸捕鯨が行われてきました。 そして現在でも、6月から8月に掛けてツチ鯨の漁が行われています。
シーズンになると、捕獲された鯨とその解体を見る為、各地から多くの人々が訪れます(捕鯨の予定などは、捕鯨の会社外房捕鯨さんのブログに情報が掲載されます)。
捕鯨は早朝出航し、当日の夕方は捕獲した鯨を曳航して港に帰り(当日出航の当日帰港)、鯨はそのまま熟成させるため、一晩寝かせます。
翌日の早朝、鯨の体長などの計測したあと日の明けぬうちから解体が始まります。
解体には、大きな包丁(薙刀のよう)を持った男たちが尻尾から切り落とし、手際よく鯨肉が仕分けされ、最後には地元の人をはじめとする、鯨肉の購入者に小分けして販売されます。 昔からほとんど変わらない鯨の解体作業は、ずっと鯨に親しみ、鯨とともに歩んできた和田漁港の男たちと地元民の暮らしの一部になっているようです。
(この項「」HPより)
※農林水産大臣より許可された沿岸小型捕鯨で捕獲された鯨の鯨体処理場の設置場所は、全国で4か所。
北海道の網走、宮城県の鮎川、和歌山県の太地、そして南房総に位置する和田町。
房総にある捕鯨基地は、これまで館山市や千倉町、白浜町へ移動してきた後、現在の和田町へと落ち着きました。
しばらく休憩した後で、街道歩き再開。「和田浦駅」前ロータリー。
内房線踏切を越えます。
「南一号踏切」(次の駅「南三原」の「南」)。
国道128号線を進みます。
和田浦港。
捕鯨の時期にはたいそう賑わうそうです。
国道128号を越え、斜めに旧道を進みます。
角のところに、「房州みやげ ひもの かわはぎ くじらのたれ 中村鮮魚店」という看板。
「くじらのたれ」とは?
「くじらのたれ」は、くじら肉をたれに漬け込んで干した千葉県南房総の郷土料理。見た目は炭や海苔のように真っ黒で、木の皮のような見た目である。「くじらのたれ」に使用されるクジラは体長12メートルほどのツチクジラという種類である。
鎌倉市内の遺跡から出土する多くの鯨骨の存在などから、鎌倉時代後半の13世紀頃から室町時代14世紀~15世紀頃までには、房総で沿岸捕鯨が始められていた可能性が考えられている。各地で「網取り法」での捕鯨が主流になっても、ツチクジラが深くまで潜るため網取り法が適さず、一貫して「突き取り法」でおこなってきたことが南房総地域の捕鯨の特徴的である。
捕鯨は昭和の時代までは全国各地で盛んに漁がおこなわれており、庶民の食べ物であった。一般家庭でも頻繁に食卓に並べられていた食材で、冷蔵庫の無い時代の保存食として「くじらのたれ」がつくられたと言われている。「くじらのたれ」という名前は、クジラをたれに漬け込んで干すことが由来といわれているほか、家の軒先に吊るしたからという説もある。南房総地域の市民にはなくてはならない味で、他県に移り住み里帰りしてきた人は、「くじらのたれ」を買って帰るほど、故郷の味として親しまれている。
(この項、「」HPより)
海岸から少し離れた道を進む。
国道に復帰します。
後方右奥に「和田浦漁港」。
すぐ右の旧道へ。
車の行き来が激しい国道に比べのどかな旧道。右手は内房線の線路。
次第に駐車場が目立つように。皆、サーファー姿。
海にはサーフィンを楽しむ人達の姿。
ここにも、おしゃれな建物。「サーフィンショップS&S」。
クジラのモニュメント。左側。
右側。
この付近を東経140度線が通っています。
バス停「白渚海岸」。「shirasukakaigan」。
かつての道は、右に向かい「三原川」を越えていました。
内房線の鉄橋。
「和田サーフ橋」。
日の出のスポットだそうです。
「←白浜・千倉への道」。
この先、道路と橋の付け替え工事中。
「フラワーライン入口」交差点。
「フラワーライン」。
槇の生垣が続く道を進みます。
「南三原駅」まで歩き、そこから館山駅行きのバスに乗る予定でしたが、・・・。
目の前のバス停の時刻表を見ると、まもなくバスが来る予定。駅より少し手前ですが、乗ってしまいます。
「(南房総市立)嶺南中学校和田校舎前」バス停。
海沿いから田園地域へ。
バスは、国道128号線を進みます。
※旧道は残っていて、国道から分かれて進むところがあります。
途中、「伊南房州通往還」旧道を通り、
「丸山川」を越えます。
「国道128号線」と合流します。「国道410号」がここから南房総方面に進みます。
「加茂坂」を越え、館山市に入ります。
「南総文化センター前」バス停で下車し、旧道を進みます。
左に入る道。
左折します。
「鈴木屋製菓」。
「根本嘉美税理士行政士事務所」。
内房線「第十館山街道」踏切。
この先が曲尺手(桝形)に。
振り返る。
長須賀。
「べにや」。
「見世(店)蔵」。
館山市の長須賀交差点前の金物店「紅屋商店」の店舗と主屋は平成19年7月31日に国登録有形文化財(建造物)に指定された。
右折します。この通りにも昔風の建物があります。
商家風の建物が多い。
かつての館山の街並みは「潮留橋」から西側に「館山城」下町として広がっていたようです。新宿町から長須賀は商業(海運)の町として賑わっていました。
「汐留橋」。
「房総往還(船橋~館山)」との合流地点。ここを終着点ということに。
※「房総往還」は、この先、かつての館山城下町まで続きます。
「汐入川」下流。
房総往還が右岸沿いに。
ここで、浜野~大網~茂原~上総一ノ宮~御宿~勝浦~鴨川~館山、と続いた「伊南房州通往還(房総東往還)」を完結。
JR内房線「館山駅」まで戻ります。
昼食に駅前で「クジラ肉カレー」を食べました。肉片が真っ黒。
特急の発車時間にはまだ時間があるので、北条海岸まで歩きました。
穏やかな海。
内房・那古方向。
「特急・新宿さざなみ」。
これで、10日間(番外編を含め、12日間)、「伊南房州通往還」=「房総東往還」の旅は終わりました。徒歩、電車、バス、タクシー・・・、南房総の美しい海と空を満喫した旅でした。
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