「秩父ハープ橋」。
武甲山と秩父市街地。
なかなか迫力あり。
下流方向。
上流方向。浦山ダム(↓)が遠くに。
「佐久良橋」。左手遠くにハープ橋。
左手に「秩父キッズパーク」。
「観音様の渡し舟」解説板。
川沿いの道。上流の赤い橋は「巴川橋」。
この先、荒川河畔を歩くことはありませんでした。
「江戸巡礼古道」。秩父は札所巡りで有名です。
「巴川橋」。ここを右折。
荒川はかなり曲がりくねった流路になります。「巴川」とは、この付近の荒川の異名。曲がりくねったようすを示したものか。
巡礼古道が断続的に残っている。「県道72号線」を進みます。
右手に「展望東屋」。正面に「浦山ダム」。
歩き始めると左手後ろに「武甲山」。
遠くに「巴川橋」。
けっこうな上り坂が続きます。「県道72号線」。
標高は、高いところで約330㍍。荒川は200㍍ほどですから、100㍍下になります。
河岸段丘上に家々。
空は晴れてきます。この辺りで頂上付近。
やっと下りへ。
「日野鷺橋」が前方に。
(「Wikipedia」より)
橋からの眺め。右手に武甲山。
橋を渡り、「彩甲斐街道(国道140号線)」に合流。
「日野鷺橋」を渡った先の突き当たりを右折してしばらく進み、「荒川橋」を渡り、左岸へ。
荒川橋。
荒川。眼下を流れています。
対岸の奥に秩父鉄道の鉄橋(↓)。
この付近のようす。荒川河岸左右の段丘上に集落が形成されています。
2010年代のようす(「歴史的農業環境システム」より)。右が「日野鷺橋」、左が「荒川橋」。中央の道路が「国道140号線(秩父往還・彩甲斐街道)」。秩父鉄道「武州日野」駅は、右端に。
遠く、眼下に荒川に架かる「平和橋」。
その先には秩父鉄道「白久駅」があります。
ジビエ料理のお店の看板が。(定休日でした)
「ぼたん鍋」「もみじ鍋」「猟師焼肉」・・・。
「贄川」交差点を右折し、「贄川宿」へ。
さっそく人形(かかし)達がお出迎え。
贄川(にえかわ)宿
秩父甲州街道を白久側から渡船場を越え、八幡坂を登ると贄川の宿に着く
新編武蔵風土記稿に「此所ハ江戸ヨリ甲州ヘノ道筋ニテ左右ニ屋並ソロヒテ丗六軒アリ。寛文七年ヨリ毎月二七の日ニ市立セシガ・・・」
贄川宿は大宮郷(秩父市)に次ぐ秩父甲州往還の宿場で、三峯講中・諸国商人衆の定宿として江戸初期から賑わいを見せていた。また宿の立地が上信や甲州ヘの分岐点であったことや、物資の集散にも好都合であったため、六齋市や雛市も開かれた。
贄川宿の家並みは往還に沿って短冊状で、旅籠、酒屋、質屋、紺屋、豆腐屋などがあり、他にも医師、髪結い、荷継場などがあった。
この贄川宿には秩父の地質調査に来日したナウマン博士や宮沢賢治、それに明治の文豪幸田露伴も立ち寄り、いずれも東方の眺望を絶賛している。
駆け足ですが、かかし達の姿を。と、かかしの手直しをしている人が。
各家ごとに。軒先や縁側、庭先に・・・。
なかなか見事です。一瞬、語りかけたくなるようなかかしも。
みごとな出来映えです。くつろぐ姿、仕事をしている姿、子ども、お年寄り、孫と、親子と、・・・。
おうちも古そう。
家並み。
「贄川」という地名の由来は、「ほとばしる荒川の流れが煮え立っているように見える」、あるいは、「神社に捧げる贄(神饌)魚を捕った川」という説があるようです。
「彩甲斐街道(国道140号線)」に出ると、左手に「秩父ジオグラビティパーク」。
(「Googleマップ」より)
キャニオンウォーク
50m以上の高さをわずか4本のワイヤーで吊っている恐怖の吊り橋。重力の恐怖を乗り越えた先には荒川渓谷の大絶景と美しい川がまっている!
キャニオンフライ
荒川渓谷を往復横断する爽快ジップライン。 荒川の絶景を爽快な気分とスピードで楽しむことができます。鳥になって渓谷を横断しよう!
キャニオンスイング
日本初の渓谷スイング、落下+特大ブランコの究極の重力系アクティビティ! 遂に登場!
キャニオンバンジー
究極の重力系アクティビティついに登場! 高さ50m、日本初のワイヤー吊橋バンジー!
(「秩父ジオグラビティパーク」HPより)
けっこう人気があるようで、若者たちが並んでいます。年寄りには命が縮むアクション!
眼下に荒川の渓谷。
その先で国道を左折して「白川橋」に向かいます。
甲府まで74㎞。
下流方向。秩父盆地に通じる河岸段丘。
上流方向。山間の渓谷に。
「解説板ー盆地の終点、山間の入口ー」。
と、「キャニオンバンジー(ジャンプ)」が。吊り橋の中程から豪快に。何度も激しく上下しています。
→
秩父鉄道「三峰口」駅。
この先は、徒歩とバスの旅になります。
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