昨日は、リハビリの4回目。振り子運動の2回目。100×10セットが目安のようですが、昨日は何とか100振り。
思ったよりもできますね、と。先生からは「2週間後にバストバンド(※というのかな)を取りましょう」と。
「なかなか寝がえりができなくて」と。苦笑いされました。右肩を上にしたまま寝るのは辛い!
息子の嫁さん「妊娠中は仰向けにしか寝られなくて大変だった。それに比べればたいしたことではありませんよ」
寝ながら落語を聞いて就寝。
林家つる子さん。この前、TVのニュース番組でコメンテーターとして出演していました。
※林家つる子
(中央大学 文学部人文社会学科 中国言語文化専攻)
2010(平成22)年9月林家正蔵に入門
2011(平成23)年3月 前座となる 前座名「つる子」
2015(平成27)年11月1日 二ッ目昇進
2024(令和6)年3月 真打昇進
さて「反対俥」。
桂文治の噺、「反対俥」によると、
今は無くなってしまった人力車だが、その当時の話です。
今川(いまがわ)橋で客待ちの居眠りをしている車夫に声をかけた。「万世橋から上野までやってくれ」の注文で、とろりとろりと走り始めた。と思ったが、かじ棒が上がりすぎ車夫は空中で足をばたつかせ、走り初めても提灯が借り物だからと、丁寧にゆっくりと走らせて(歩いて)いる。若い車夫に抜かれると「若い者に花を持たせやしょう」と動じない。今度は年取った車夫に抜かれて「年寄りにも花を持たせましょう」。心臓が悪いので、走ると死んじゃうかも知れません。その時は身寄りがないので、お弔いをお願いします。
急いでいるので降ろしてもらった。
「そこにいる若いの、早そうだな」。俺は早いよ、と言うなりかけだした。まだ乗っていないのに・・・。角を曲がって戻ってきた「道理で軽かった」。乗るから「万世を渡って北へ真っ直(つ)ぐやってくれ」、アラよっ、アラよっと走り始めた。風を切って走った。土管を飛び越え、しゃべる車夫の唾が風に飛ばされ客に飛んだ。土手に突き当たり俥はやっと止まったが、そこは埼玉県川口と書いてあった。「『北に』と言われたのでここまで来たが、上野なら戻ります」。
またアラよっ、アラよっと走り始めた。「こないだは急行列車を追い抜いた」。今は汗が目に入って前が見えない。「止めてくれ」、「勢いが付いているので止まらない。トラックが来たら避けてください」。「お客さん、保険に入っていますか」、「そんなのには入っていないヨ」。「奥さんはいますか」、「二十八だよ」。「二十八で後家さんにしては可哀相。奥さんだけでも私が引き取りましょう」、「冗談言っちゃいけねェ~」。
(この項、「」HPより)
「落語芸術協会」HPでは、
日本橋あたりで上野の駅まで人力に乗った男。最初に乗った俥は遅くてしょうがない。乗り換えると、今度は威勢がよくて早い俥。どんどん飛ばして気持ちいいが、そのうち止まらなくなってしまう。やっとのことで止まると、そこは仙台だった。あわてて引き返すと今度は小田原。「これでは終列車に間に合わない。」「なぁに、明日の一番には間に合いますよ。」
・・・
しかし、今回、かなり改作しています。前半の車夫の話は短くして後の車夫が話の中心に。客の言動を主にして、人力車のとてつもない早さを表現。この落語は、耳で聞くよりも実際に演じる姿を見るのが魅力。
そして、つる子さん。口角、泡を飛ばしての熱演。喬太郎師匠だったら腰をひねってリタイヤーになるに違いなさそう。
ドラム缶を飛び越える仕草、3つ並んでいるのも飛び越える。・・・
ようやく着いたところがなんと「鎌倉」。そのかんに川にそのまま突っ込んで水中を。
さかなのつもり。
「行きたいのは大宮だ」そこで北に引き返す。後ろ向きになって走る。
途中で芸者衆にぶつかり、池に落としてしまう。「芸者を上げなよ」「芸者を上げるくらいなら車引きなんぞやってない」というオチ。観客も拍手。お囃子まで入って、
本人も苦笑い。
で終わらず、また走り出し、やっと大宮に。
「いけねえ、土産買うのを忘れた」「ではまた」「待て、懐に生きのいいうなぎが付いてきた」とやっとオチに。
大熱演でした。
大けがをしている小生。こういう勢いを取り戻したい、と。今は叶わぬ落語でした。
2021年に演じていたのと同じようですが、相変わらずの熱演でした。この方の他の演目も見たいものです。
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