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「国道16号線」に。本格的な食事処に出会います。
「国道16号線」。街道歩きなどでしばしば遭遇しました。このブログで、何度も取り上げています。
「旧東海道」、「中山道」、「日光道中」、「水戸街道」、「甲州街道」、「川越街道」、「日光御成街道」、「青梅街道」、「日光千人同心街道」、「五日市街道」、「八王子絹の道」、「房総往還」・・・。さらに「西武安比奈線跡」、「相模運輸倉庫専用線路跡」。・・・横切ることも、そのまま道沿いに歩くことも。
「房総往還」では、「富津岬」の手前でその千葉側の終点を。
何しろ横須賀から富津まで、関東平野をぐるりと遠回りに一巡している道路ですから、東京から向かっても、東京に戻ってくるにしても、必ずどこかで出会うわけです。
(
HPより拝借)
今回は横切ります。すぐ先、右手に「水車屋」。
ここを右に折れます。向こうには立派なお屋敷が。
「白井市」のマンホール。絵柄は梨。
「矢の橋台霊園」を過ぎて坂道を下っていきますが、この先が分かりにくく、行ったり来たり、ちょっと迷いました。
広い道路を横切り、「セブンイレブン」の裏手脇の道を進み、突き当たりを左に進みます。
1880年代のようす。街道はしっかりしています(↓)。↓付近に「常夜燈」。
2010年代のようす。当時と比較し、道が入り組んで複雑になっています。○が下の写真の位置。
解説板。ちょっと読み取りづらい。
〈概要〉「金比羅宮と大沼枕山撰碑」
この金比羅宮は、幕末に造立されたもの。藤ヶ谷地区台町は鮮魚街道の中間点にあたり格好の休憩所として賑わい、荷駄人足たちは、ここで食事を取り魚に水をかけて鮮度を回復し、また江戸へと急いだ。金比羅宮はもともと水運の守護神で、鮮魚街道に暮らす人々によって信仰された。大沼枕山の撰碑は明治5年に建てられた。枕山は漢詩・書の達人として江戸で活躍した終わり出身の儒学者。
右折した先に「常夜燈」が見えてきます。
鮮魚街道常夜燈
鮮魚街道は、銚子沖でとれた海産物を江戸に運ぶために出来た交通路で、明治の中頃まで盛んに使われていました。 そのルートは、銚子から船で利根川をさかのぼり、布佐(我孫子市)で陸揚げされると、発作(印西市)を経て、手賀沼を船で船戸(白井市)に入り(手賀沼・船を利用せず、陸路を辿るコースがメイン)、 富塚(同)から藤ヶ谷台町を通り、金ヶ作、日暮、松戸新田、陣ヶ前(以上松戸市)を経由し、松戸の河岸から江戸川を下り、日本橋の魚河岸に着きます。
藤ヶ谷台町は布佐・松戸間の中間地点に当たり、荷駄人夫達の食事、休憩などで大いに賑わいました。
常夜燈には、「紀元2539年6月設之」と銘記されており、明治12年(1879)に地元の有力者などによって建立されたことがわかります。
現在、鮮魚街道は当時の面影を殆ど残していませんが、その面影をわずかに伝える台町の常夜燈は、貴重な文化財となっています。
(この項、「」HP。一部加筆・修正。)
高さは3.34㍍。右の写真は魚の水切り場のようす。
この先を道なりに進みます。
「馬頭観音」。右奥に共同墓地。
県道に合流すると、その先が「海上自衛隊 下総航空基地」。ここで、街道は寸断されます。
基地をぐるりと遠回りしていくことになります。バス停がありますが、来るまでに時間がありすぎ。しかたなく歩くことに。
○がたどる道筋のバス停。
正面ゲート。
下総航空基地
所在地は千葉県柏市であるが、敷地は隣接する鎌ケ谷市にまたがり、滑走路南端は鎌ケ谷市の中心部にも近い。
教育航空集団司令部、下総教育航空群、海上自衛隊第3術科学校、海上自衛隊航空補給処の下総支処などが置かれており、対潜哨戒機P-3Cを使用した海上自衛隊航空要員の教育訓練等を行っている。
また、習志野演習場などで陸上自衛隊第1空挺団が行う空挺降下訓練支援を行っている。訓練の際は航空自衛隊のC-1、C-130輸送機が飛来し、当基地で陸上自衛官を乗せて演習場上空へ飛び立つ。また、訓練に使われる輸送機は離着陸時の騒音が大きく、生活環境に影響を及ぼすとして基地のホームページ上に日付と概略を掲載している。
(この項、「Wikipedia」参照)
(「歴史的農業環境システム」より)
基地沿いに迂回します。「この先通り抜けできません」の看板がある道をそのまま進むと、自転車と人は基地の金網の間を行くことが出来る道に。
街道が復活するのは、東武線「六実」駅の東方になります。まだまだ先か、と思っていると、これから高柳駅に用事があるという地元の方にお会いし、道を聞き、一つ手前の「高柳駅」にて今回は終了します。それでも、駅まで30分ほどかかりました。
今回は、田畑が広がり、緑が多く残る、旧道らしい道筋でしたが、次回は、松戸まで賑やかな街並みの中を歩くことになるようです。
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