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そのまま、ゆるやかな県道を上ると、バス停。
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実は、県道のすぐ下を通る道が「須雲川自然探勝歩道」。先ほどの分岐点を左にとる道筋。
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その最後の詰めにある坂が「猿滑(さるすべり)坂」。
「西海子坂」「橿木坂」と並んで箱根街道きっての急坂といわれていたところ。「殊に危険、猿猴といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす。」と、難所らしい坂の名の由来がある。
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歩道橋を渡ると、追込坂(おいこみざか)の入口。これで急登はなしか?
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『新編相模風土記稿』のふりがな(万葉がな)をみると、フッコミ坂といったのかもしれません。甘酒茶屋までのゆるい坂道の名です。
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着いたところが「甘酒茶屋」の裏手。
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東海道の難所、箱根山の中腹にある400年の伝統を持つ茶店。畑宿と箱根宿の中間付近で、江戸時代は箱根の関所を前にした休憩所として、現代は箱根を歩くハイカーの休憩所として親しまれている。現在の店は神奈川県道732号湯本元箱根線(旧国道1号)の脇に建つが、店の前の道路は過去の街道と同じ線形という。忠臣蔵の芝居の神崎与五郎詫証文の舞台となる茶店であり、旅行経験のない江戸市民にも高い知名度を誇っていた。建物自体は、地震や火災により被害を受け、そのつど立て直しが行われている。現在の建物は2009年に改装したもので、茅葺き屋根や土間など昔の雰囲気を持たせつつ、囲炉裏(いろり)や座敷などを増設する改修が行われたもの。
名物は、甘酒、力餅など。特に甘酒は、江戸時代から使われている麹を発酵させ、砂糖を加えないで甘さを引き出す伝統的手法で製造する。
(以上「Wikipedia」参照)
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「甘酒茶屋」について
江戸時代、徳川幕府は人々や物資の往来が盛んになるように街道の整備を行いました。東海道はその中でも主要な街道で、この箱根地域(湯本~箱根関所間、通称「東坂」)は道が大変険しく、当時の旅人が普通の1日十里(一里は4キロメートル)を旅するところ、箱根地域では八里しか歩けなかったようです。
道中には「甘酒」をふるまう茶店が設けられるようになり、文政年間(1818~29)には「甘酒小屋」と記録があり、箱根地域には9箇所設けられていたようです。この地には4軒あり、付近の追込坂上、樫木坂上、猿滑坂下にもありました。
しかし、明治十三年(1880)、国道1号の開通などから街道を歩く人々が減少して、現在ではこの地に1軒が残るのみになっています。
*当時「甘酒」が旅人の疲労回復に役立っていたと言われています。
神奈川県 箱根町教育委員会
「箱根を旅するみなさまのおかげをもちまして、わたくしどもはこれまで甘酒茶屋を営んでくることができました。かつて、お客さまのご来店は日に2〜3組、ときにはおひとりもみえないということもたびたびございました。それなのにどうして続けてこられたのでしょうか。
それは「あぁ、灯りだ。助かった!」「甘酒を一杯」そんな風にわたくしどもを頼りにしてくださる旅人のみなさまに支えられてのことだったのかもしれません。また先人たちが脈々と受け継いできた、旅人をもてなすあたたかい心であったのかもしれません。
今も昔も箱根越えは難所です。みなさまの旅路のささやかな灯台でありたいという想いをこめて、昔ながらの灯りをともして「八夜」にわたる特別なおもてなしをさせていただければと思います。
ここ甘酒茶屋に機械文明の代名詞「電灯」がついたのは、先の東京オリンピック景気に沸く昭和30年代。それまでは灯油ランプとろうそくのみの灯りで、煤で曇るランプのホヤの掃除は、小さな手の子どもたちの仕事でした。そのころに想いをはせながら、ランプを灯しコンサートも電気を使わない楽器そのものの音でお届けいたします。
また甘酒はもちろんのこと、「箱根八夜」のときだけのお食事としておにぎりと季節によって変わる手作りのおばんざい(お惣菜)もご用意させていただきますので、どうぞ箱根の夜をゆっくりとお楽しみくださいませ。
文/山本 聡(十三代目甘酒茶屋店主)
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『箱根八夜(はちや)』は、畑宿の箱根甘酒茶屋が主催する『箱根らしい、八夜にわたる音楽イベント』です。話の起こりは甘酒茶屋十三代目店主山本聡氏の『夏の節電運動』から始まります。アースアワーなどの世界的なエコ活動の高まりの中で、夜は完全に電気を消し昔ながらの油の灯りのもとで過ごすことで、昔ながらの箱根の夜を満喫していただくというものでした。そんな中、箱根の各所で音楽イベントを企画していたハーモニカ奏者の広瀬哲哉との出会いがあり、実験的なイベントとして、無電気状態の中での『箱根甘酒茶屋ー夕涼みライブー』の三夜が開催されました。
甘酒茶屋の昔ながらの日本建築の暖かみと揺れる油の光。同じく電気を通さぬ完全アコースティックの状態のハーモニカと弾き語りのライブは予想以上に好評となり、定期開催をのぞむ声が早くから上がりました。このライブの中でブルース風に演奏された『箱根八里』がとりわけ話題を集めたこともあり、それを文字って、イベントのネーミングを『箱根八夜』としました。また、『食』や『話』にもこだわり、サブタイトルには『箱根甘酒茶屋劇場』が付くことになりました。さらに演奏者と店主との話し合いにより飲食などの利益は『石畳の保全活動』へと寄付されることとなり、箱根町をはじめ、一般財団法人箱根町観光協会、箱根湯本観光協会、箱根町教育委員会など多くの後援をいただきつつ、2014年3月22日をかわきりに10月11日まで、毎回多くのお客様にお集まりいただき盛大に開催させていただきました。(以上、「同」HPより)
また、江戸時代、赤穂浪士の一人、神崎与五郎が吉良邸討ち入りに向かう途中、ここで馬子にいいがかりをつけられ、大事の前であったため、馬子に詫証文を書いた、と忠臣蔵「甘酒茶屋」のくだりとして講談などで有名なところ。
この逸話は歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」では扱われていないが、映画などではしばしば取り上げられるらしい。
休憩所と併設して建てられているのが箱根旧街道資料館。旧東海道を往来した旅人達の衣装や、道具などが展示されている、とのことだが、今回、見学は省略。上のイベントも含め、じっくり立ち寄ってみたいところ。
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「甘酒茶屋」の裏手の林間の道を進む。
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もう少し進んだところに、「お玉ケ池」という池があります。関所破りをした玉という娘が処刑されたのが、その池の近くだったとのこと。この坂名は、それと関連があるようです。
この先、緩やかな石畳が続く「白水坂」、「天ヶ石坂」を登り切ると、街道は下りの権現坂に入り、いよいよ「元箱根」へ。
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「白水坂」。
付近の土地の古老は「城見ず坂」と呼んでいる。天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原攻略の時、小田原法条方が尾根の上から大量の石を落としたため進軍を阻まれ、やむなく小田原城を見ることなく引き返した、といういわれがある坂だそうだ。
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