おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

旧台東区立坂本小学校校舎。関東大震災後建てられた「震災復興小学校」の一つ。

2022-02-21 20:25:13 | 震災復興小公園

今朝の「朝日新聞」都内版に「旧台東区立坂本小学校校舎解体」が掲載されていました。すでに廃校となっていましたが、その後どうするか、さまざまな意見があったようです。

ようやく暫定案ができ、結果的には解体して更地になるようです。

関東大震災後に建築された「復興小学校」の一つ。公園と一体化した「震災復興小公園」事業とは別に建てられた校舎です。

以前掲載したことがありますので、再掲します。

2013ー10ー27

 今回は、公園を伴わない「復興小学校」の一つで、現在も残り、活用されている校舎を訪ねました。「台東区立坂本小学校」。
 
ここで、「復興小学校」についてのおさらい。(以下「Wikipedia」参照。)

 復興小学校は、1923(大正12)年には発生した「関東大震災」後に復興事業の一環として建築された一連の小学校の総称です。
 関東大震災により、東京市立小学校は大きな被害を受け、全195校のうち無傷で残ったものは2校にすぎず、約2/3が倒壊・焼失しました。
 復興事業にあたり東京市は、不燃化構造とするため鉄筋コンクリート建築を採用しました。また、52の学校では、公園を併設するなどの試みも行われました(「震災復興52小公園)。
 復興小学校として建築された小学校は全部で117校。建設時期は1924年から1935年にかけての時期(多くは1928年頃までに完成)。
 なお、同時期に建設された鉄筋コンクリート造りの学校建築の中にも、厳密には復興小学校ではないものが含まれています。それらを「改築小学校」と呼びました。校舎の被害はさほど大きくなかったが、ついでなので鉄筋コンクリート建築によって建て直したというもの。更にそれ以外に、震災前には小学校として存在していなかったが、震災後に鉄筋コンクリート建築の校舎を新築して開校したものも含まれます。

復興小学校一覧
※以下のリストは復興小学校を網羅したものではない。

1925年(大正14年)建設
・明石小学校(中央区明石町1-15)
2008年現在も小学校の現役校舎として使われている。北側に隣接していた公園の大半は失われたが、わずかながら残ってはいる。建築学会から重要文化財相当と指定されている。2010年8月9日から取り壊しが開始された。
 
1926年(大正15年、昭和元年)建設
・九段小学校(千代田区三番町16)
建設当時は「上六小学校」。2008年現在も小学校の現役校舎として使われている。西側に隣接して東郷元帥記念公園がある。
・坂本小学校(台東区下谷1-12-8)
建設当時は「入谷尋常小学校」。小学校としては廃校になり、建物は2006年1月現在残されてはいるが、跡地利用が検討されており、解体される可能性もある。


1927年(昭和2年)建設
・元町小学校(文京区本郷1-1-19)
小学校としては1998年に廃校。南側には同時期に作られた元町公園が残されている。文京区が区施設の建設を計画したことから解体の懸念が強まっていたが、2010年段階ではその計画はたなざらしとなり、建物は耐震補強の上で2016年まで順天堂大学にレンタルされることになった。

1928年(昭和3年)建設

・阪本小学校(中央区日本橋兜町15-18)
2008年現在も小学校の現役校舎として使われている。なお、本校は1873年に「第一大学区第一中学区第一番小学阪本学校」として開校した、都内最古の小学校のひとつであり、文豪谷崎潤一郎の母校としても知られる。北側に隣接して阪本町公園がある。
・十思小学校(中央区日本橋小伝馬町5-1)
小学校としては廃校になり、中央区の施設「十思スクエア」として使われている。東京都選定歴史的建造物に認定されている。東側に隣接して十思公園がある。
・早稲田小学校(新宿区早稲田南町25)
2008年現在も小学校の現役校舎として使われている。東京大空襲では4分の3が損害を蒙った。
・下谷小学校(台東区東上野)
1990年に清島小学校と統合し閉校。その後は、近隣にある岩倉高等学校の代用校舎としてなど、活用されている。

1929年(昭和4年)建設

・常盤小学校(中央区日本橋本石町4-4-26)
2008年現在も小学校の現役校舎として使われている。東京都選定歴史的建造物に認定されている。西側に小規模ながら常盤公園が隣接している。
・泰明小学校(中央区銀座5-1)
2008年現在も小学校の現役校舎として使われている。東京都選定歴史的建造物に認定されている。東北東側に小規模だが数寄屋橋公園が隣接している。
・城東小学校(中央区八重洲2-2-2)
建設当初は「京橋昭和小学校」。2010年現在も小学校の現役校舎として使われている。

1930年(昭和5年)建設

・黒門小学校(台東区上野1-16-20)
2010年現在も小学校の現役校舎として使われている。
・明化小学校(文京区千石1-13-9)
2013年現在も小学校の現役校舎として使われている。2014年度には140周年を迎える。

1932年(昭和7年)建設

・広尾小学校(渋谷区東3-3-3)
2008年現在も小学校の現役校舎として使われている。東京都選定歴史的建造物に認定されている。建築当時は校舎の隅に消防署が併設され、消防車用の車庫と望楼が組み込まれた(1947年に消防署は移転)。様式はインターナショナル・スタイル。

1934年(昭和9年)建設

・四谷第五小学校(新宿区新宿5-18-21)
2008年から、よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本部として使われている。日本におけるDOCOMOMO150選。改築小学校。

1935年(昭和10年)建設

・高輪台小学校(港区高輪2-8-24)
2008年現在も小学校の現役校舎として使われている。耐震性能などの向上を目指した全面改修工事が行われている。東京都選定歴史的建造物に認定されている。いわゆるモダニズム系のデザインであり、あまり古い建物には見えない。なお、本校校舎も狭義の「復興小学校」には含まれない(震災後に開校したため)。

建設時期不明

・京華小学校(中央区八丁堀3-17-9)
小学校としては廃校になり、中央区の施設「京華スクエア」として使われている
・窪町小学校(文京区大塚3丁目)
2006年現在も小学校の現役校舎として使われている。耐震性能などの向上を目指した全面改修工事が行われている。なお、本校校舎は狭義の「復興小学校」には含まれない(「改築小学校」にあたる)。


「言問通り」を挟んで。校舎の通り側に面した全景。

 上記に引用した「Wikipedia」とは少し異なっていて、1996(平成8)に廃校となってからも、区の施設として利用されており、現在は都の教職員組合や東京都美術館リニューアル準備室が入居して、現役中。
 ただ、外見からはあまり手を入れた様子もなく、このまま朽ち果てる(撤去、解体される)のを待つ、という感じがしないでもありませんが。

正門の門柱には、しっかりと校名が。

正面玄関。校章も残っていました。

階段室。

玄関のアーチ。

入口や階段室にアーチ状の造形を持つ。復興小学校のひとつの様式。

円柱が並ぶ外壁。

校庭側(南西側)から。コの字型の校舎配置。

体育棟?

東側の校舎側面。

校舎裏手の小道。
ツタ、雑草で覆われた建物。

あえて手を入れないのか。

しっかりした鉄筋造りの建物のようだ。

「都教組台東支部」とあった。

 
正門前の通り。向こうの広い道路が「言問通り」。右が入谷交差点。左へ行くと、JR鶯谷駅方向。

「言問通り」から入谷方向を望む。校舎の向こう遠くにスカイツリー。

 JR線からも近く、また、言問通りと国道4号線(昭和通り・日光街道)という交通量の激しい交差点から、道一歩入ったところにある、古き「近代」の趣。

1970年代のようす。○。
 
・・・
 
訪問してから9年の年月が経ちました。
 
今後の予定は、台東区によると、以下のようになるようです。保存して欲しいとの声もありましたが、結局、解体することになります。
 
・既存の校舎建物を除却した上で暫定的に広場として整備し、地域の交流や憩い、安全を創出します。
・敷地西側、南側の区道を拡幅し、地域の防災力を向上させます。
・敷地北側の都道(環状第3号線用地)の行政財産使用継続の解消を図ります。
 
<今後のスケジュール(予定)>
 令和3年度上期       広場整備の検討
   3年度下期~4年度  校舎解体、整備工事
   5年度         活用開始
 
こうしてまた一つ、伝統ある古い校舎がなくなります。上記の小学校の中にも既に役割を終えた校舎もあるようです。

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