野口悠紀雄先生の「超『超整理法』」の最終章に、
「プロレタリア知的労働者」
という単語が出てくる。「情報の整理」という仕事に従事する下っ端の労働者のことを指しているが、大半のサラリーマンは、日常業務の大部分をこうした仕事に費やしているのではないかと思われる。
営業マンや工員が毎日作成する業務日報は、つまるところ、上司・ボスが業績や生産情況を管理するためのものであり、作成する本人が自分のために用いるわけではない。ちなみに、バーディーは、営業計画や業務日誌作成のため、一日1時間程度を費やしていた。「情報の共有化」の名の下に、自分が(野口先生いわく)奴隷となるための資料を一生懸命作っていたのである。
自由業に転じてみると、こうしたカラクリは明瞭となる。仮に報告書めいたものを作るとしても、それは自分自身かクライアント向けのものであり、「仕事をしない上司」のために作るものではない。労働者から搾取する人間など存在しないからである。
・・・ああ、自由業ってすばらしい!
「プロレタリア知的労働者」
という単語が出てくる。「情報の整理」という仕事に従事する下っ端の労働者のことを指しているが、大半のサラリーマンは、日常業務の大部分をこうした仕事に費やしているのではないかと思われる。
営業マンや工員が毎日作成する業務日報は、つまるところ、上司・ボスが業績や生産情況を管理するためのものであり、作成する本人が自分のために用いるわけではない。ちなみに、バーディーは、営業計画や業務日誌作成のため、一日1時間程度を費やしていた。「情報の共有化」の名の下に、自分が(野口先生いわく)奴隷となるための資料を一生懸命作っていたのである。
自由業に転じてみると、こうしたカラクリは明瞭となる。仮に報告書めいたものを作るとしても、それは自分自身かクライアント向けのものであり、「仕事をしない上司」のために作るものではない。労働者から搾取する人間など存在しないからである。
・・・ああ、自由業ってすばらしい!