森鴎外の死因については、一応「委縮腎」ということにされているけれど、「医学者の手帖 (緒方富雄、森於菟著、学生社版)」によると、「肺結核」というのが正しいそうだ。
鴎外は、最初の妻・赤松登志子と、長男が誕生した月に一方的に離婚している。一説によれば、肺結核に感染したことを悟った鴎外が、登志子を遠ざけたとされる。登志子は明治33年に早々に肺結核で亡くなっていること(鴎外は大正11年没)から、感染源が彼女であるという説の信憑性は高い。
それにしても、死ぬまで病名を隠し通さなければならなかったというのは、いま思えば可哀想というほかない。
鴎外は、最初の妻・赤松登志子と、長男が誕生した月に一方的に離婚している。一説によれば、肺結核に感染したことを悟った鴎外が、登志子を遠ざけたとされる。登志子は明治33年に早々に肺結核で亡くなっていること(鴎外は大正11年没)から、感染源が彼女であるという説の信憑性は高い。
それにしても、死ぬまで病名を隠し通さなければならなかったというのは、いま思えば可哀想というほかない。