Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

家畜の幸福

2021年03月09日 06時15分00秒 | Weblog
自由か、さもなくば幸福か? ─二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う (大屋 雄裕 著)

 読んでいない本について語る資格はないのだが、「自由か、さもなくば幸福か?」というフレーズが気に入っている。
 というのも、自由と幸福は、多くの場合、トレード・オフ関係にあると思われるからである。
 ためしに、自由と幸福の関係について、「自由ではないが幸福である」典型と思われるペット(家畜)を例にとってみる。
 「家畜」と言うと、私は真っ先に家猫を想像するのだが、つい最近、ある動画「暖房が壊れたので飼い主のお腹の上で暖まる猫がこちらです笑」を見つけた。
 「もちまる」氏は、おそらく、いま日本で最も幸福な猫たちのうちの一人(一匹)であり、素晴らしい飼い主(「下僕」さん)に恵まれている。
 食事には事欠かず、外敵に脅かされることもなく、飼い主の愛情をたっぷり浴びて安楽な生活を送っている。
 まるで、下僕さんという絶対的な「神」を信仰し、その懐に抱かれた「信者」のようである。
 そんな「もちまる」氏に欠けているものがあるとすれば、それは「自由」である。
 家猫が自由を得たいというのであれば、飼い主のもとを離れて野良猫になるということなのだろうが、これはイバラの道であり、「幸福」にたどり着くのは至難の業だろう。
 車や自転車、凶暴な人間たちから身を護らなければならず、食料(ネズミ?)は自分で手に入れないといけないし、寝る場所も確保する必要がある。
 これでは生存すら容易でなく、到底「幸福」ではないし、「自由」どころの話ではない。
 ・・・こういう風に想像を膨らませていくと、家畜(あるいは社畜)の「幸福」が羨ましいもののように思えてくる。
 
 

コメント
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