進撃の巨人(33) 地鳴らし
エレン「きっと外の世界はこの壁の中の何倍も広いんだ それを見た者は この世界で一番の 自由を手に入れた者 これが自由だ」
「壁の外で人類が生きてると知って・・・オレはガッカリした ・・・すべて消し去ってしまいたかった・・・」
ここでエレンは、2種類の「自由」について語っているように思われる。
一つは、「壁」という障害から脱する「自由」、つまり妨害排除的な自由である。
もう一つは、他者を「消し去る」自由、つまり攻撃的・他害的な自由、極端な言葉でいえば「人を殺す自由」である。
これを、法的にはどう考えるべきだろうか?
憲法の講義などで、繰り返し議論がなされてきた問題である。
[笑うケースメソッドⅢ]現代日本刑事法の基礎を問う
「「人権が制約される」と捉え、制約内在説、外在説を論じ、公共の福祉に達する、そのようなディスコースは、それ自身的がはずれている。なぜならば、人権ないし自由は概念の理論的性質としては占有にほかならず、したがって決して攻撃的には使えないからである。よく挙げられる「人を殺す自由はなぜ制約されるのか」というトポスは意味をなさない。もちろん、法は「人を殺してはいけない」といっていない。「殺したならば、かくかくしかじかである」といっているだけである。」
エレン「きっと外の世界はこの壁の中の何倍も広いんだ それを見た者は この世界で一番の 自由を手に入れた者 これが自由だ」
「壁の外で人類が生きてると知って・・・オレはガッカリした ・・・すべて消し去ってしまいたかった・・・」
ここでエレンは、2種類の「自由」について語っているように思われる。
一つは、「壁」という障害から脱する「自由」、つまり妨害排除的な自由である。
もう一つは、他者を「消し去る」自由、つまり攻撃的・他害的な自由、極端な言葉でいえば「人を殺す自由」である。
これを、法的にはどう考えるべきだろうか?
憲法の講義などで、繰り返し議論がなされてきた問題である。
[笑うケースメソッドⅢ]現代日本刑事法の基礎を問う
「「人権が制約される」と捉え、制約内在説、外在説を論じ、公共の福祉に達する、そのようなディスコースは、それ自身的がはずれている。なぜならば、人権ないし自由は概念の理論的性質としては占有にほかならず、したがって決して攻撃的には使えないからである。よく挙げられる「人を殺す自由はなぜ制約されるのか」というトポスは意味をなさない。もちろん、法は「人を殺してはいけない」といっていない。「殺したならば、かくかくしかじかである」といっているだけである。」
(「人を殺す自由」はあると言うことも可能だが)「ただしこのような言い方は日常的なものであるにすぎず、厳密には、「人を殺してはならない」という倫理的規範に法はかかわらない、といわなければならない。」(p11)
例によって目の覚めるような解説で、エレンは「自由」=「占有」の意味を正確に理解していなかったようである。
それだけでなく、彼は、「エルディア人 対 マーレ人」という、集団思考にとらわれてしまっている。
第一話の冒頭のシーンから、このマンガがハッピーエンドをむかえることはないと分かっていたが、さて、どのようなラストシーンになりますことやら?
例によって目の覚めるような解説で、エレンは「自由」=「占有」の意味を正確に理解していなかったようである。
それだけでなく、彼は、「エルディア人 対 マーレ人」という、集団思考にとらわれてしまっている。
第一話の冒頭のシーンから、このマンガがハッピーエンドをむかえることはないと分かっていたが、さて、どのようなラストシーンになりますことやら?