肉食動物(2)で思い出したが、新入社員のころ(およそ四半世紀前)、一つ上の先輩の言葉を聞いて驚愕した経験があった。
それは、
「営業マンたるもの、決して日焼けをしてはならない」
というものである。
本人に聞いて確かめたわけではないが、おそらくは、「日焼けをしているような人間は、プライベート優先で仕事をおろそかにしているという印象を顧客に与えるため、営業マンにはふさわしくない」というくらいの意味だろう。
およそ「ワーク・ライフ・バランス」の考え方とは相容れない発想である。
(そういえば、当時の銀行は、「ゴルフの腕前がシングルの人は、経営をおろそかにするので、そのような社長がいる会社には融資しない」と言われていたが、似たような発想だと思う。)
この人は、決して変わり者というわけではなく、きちんと仕事をこなす模範的な若手社員なのだが、ここで私が問題にしているのは、そのような若手社員をして上のように言わしめた、当時の社会的な風潮である。
私見では、上に挙げた言葉は、バブル期以降の「自己犠牲強要社会」の一例にほかならない。
ここでは、組織の「自己犠牲強要」を先取りした若手社員が、自分は自己犠牲をいとわない滅私奉公型の人間であることを周囲にアピールしているわけで、要するに「マゾヒズム・アピール」である。
こうした不健全な思考が、古手の幹部社員ではなく、新入社員や学生のレベルにまで浸透していたという事実は恐ろしく、当時の社会がいかに病んでいたかが分かる。
それは、
「営業マンたるもの、決して日焼けをしてはならない」
というものである。
本人に聞いて確かめたわけではないが、おそらくは、「日焼けをしているような人間は、プライベート優先で仕事をおろそかにしているという印象を顧客に与えるため、営業マンにはふさわしくない」というくらいの意味だろう。
およそ「ワーク・ライフ・バランス」の考え方とは相容れない発想である。
(そういえば、当時の銀行は、「ゴルフの腕前がシングルの人は、経営をおろそかにするので、そのような社長がいる会社には融資しない」と言われていたが、似たような発想だと思う。)
この人は、決して変わり者というわけではなく、きちんと仕事をこなす模範的な若手社員なのだが、ここで私が問題にしているのは、そのような若手社員をして上のように言わしめた、当時の社会的な風潮である。
私見では、上に挙げた言葉は、バブル期以降の「自己犠牲強要社会」の一例にほかならない。
ここでは、組織の「自己犠牲強要」を先取りした若手社員が、自分は自己犠牲をいとわない滅私奉公型の人間であることを周囲にアピールしているわけで、要するに「マゾヒズム・アピール」である。
こうした不健全な思考が、古手の幹部社員ではなく、新入社員や学生のレベルにまで浸透していたという事実は恐ろしく、当時の社会がいかに病んでいたかが分かる。