民法講義III 新訂 担保物権法
「・・・内容の変動する集合物は、設定者の売却を目的とする在庫商品のように、それを構成する個々の物が、企業の経営に従って、分離して処分されたり仕入れて加えられたりしながら、しかもなお全体として一個独立の存在が認められるものである。もっとも、独立の存在を認められるためには、純粋に客観的な事情だけに依存せず、例えばある倉庫の東側の棚にある商品全部というように、人為的な表示ないし標識を加えることによって独立存在を認められるものでもよいであろう。但し、この場合にも、外部的・場所的な独立存在を必要とし、単に数量で指示されるだけ(例えば在庫商品の二分の一)では足りない。」(p663~664)
殆ど最判の判示事項(三)を先取りしているかのような記述だが、この考え方は、「集合動産の譲渡担保に関するエルトマンの提案」と題する法学協会雑誌48巻4号(昭和5年)掲載の論文で既に紹介されていたようだ。
ここでやや「異臭」を感じるのは、「集合物」の概念について、オットー・フォン・ギールケによる定義が借用されているところである。
原典を確認しているわけではないけれど、この定義は、「人」(自然人)に関するギールケの(社団)法人理論と似通った思考に基づくものと思われる。
つまり、「構成する個々の人が、・・・変動しながら、しかもなお全体として一個独立の存在が認められるもの」と言い換えれば、殆ど(社団)法人の定義となってしまう。
これと関連するのだが、我妻先生は面白いことをおっしゃっている。
「・・・私がこの問題を研究したのは、これらの制度の内容を明らかにするためではない。「企業」は、たとい「客観的意義における企業」であっても、「社会のあらゆる階層の生活関係が依存」するものであるから、企業そのものは「担保権の客体たる地位から、漸次に、法律関係の主体たる地位を取得するに違いない」。そして、「資本主義の発達と私法の変遷」というテーマの「第二部の債権論から第三部の企業論への転換の契機をそこに見出すことができると憶測し」たからであった。」(p661~662)
「・・・内容の変動する集合物は、設定者の売却を目的とする在庫商品のように、それを構成する個々の物が、企業の経営に従って、分離して処分されたり仕入れて加えられたりしながら、しかもなお全体として一個独立の存在が認められるものである。もっとも、独立の存在を認められるためには、純粋に客観的な事情だけに依存せず、例えばある倉庫の東側の棚にある商品全部というように、人為的な表示ないし標識を加えることによって独立存在を認められるものでもよいであろう。但し、この場合にも、外部的・場所的な独立存在を必要とし、単に数量で指示されるだけ(例えば在庫商品の二分の一)では足りない。」(p663~664)
殆ど最判の判示事項(三)を先取りしているかのような記述だが、この考え方は、「集合動産の譲渡担保に関するエルトマンの提案」と題する法学協会雑誌48巻4号(昭和5年)掲載の論文で既に紹介されていたようだ。
ここでやや「異臭」を感じるのは、「集合物」の概念について、オットー・フォン・ギールケによる定義が借用されているところである。
原典を確認しているわけではないけれど、この定義は、「人」(自然人)に関するギールケの(社団)法人理論と似通った思考に基づくものと思われる。
つまり、「構成する個々の人が、・・・変動しながら、しかもなお全体として一個独立の存在が認められるもの」と言い換えれば、殆ど(社団)法人の定義となってしまう。
これと関連するのだが、我妻先生は面白いことをおっしゃっている。
「・・・私がこの問題を研究したのは、これらの制度の内容を明らかにするためではない。「企業」は、たとい「客観的意義における企業」であっても、「社会のあらゆる階層の生活関係が依存」するものであるから、企業そのものは「担保権の客体たる地位から、漸次に、法律関係の主体たる地位を取得するに違いない」。そして、「資本主義の発達と私法の変遷」というテーマの「第二部の債権論から第三部の企業論への転換の契機をそこに見出すことができると憶測し」たからであった。」(p661~662)