Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

マイスターじゃないジンガー

2021年11月24日 06時30分34秒 | Weblog
大野和士オペラ芸術監督が語る『Super Angels スーパーエンジェル』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
 「 主人公のハンス・ザックスは言います。「春の楽しい時期には多くの人が美しい歌を書けるけれど、それは春が代わって歌ってくれたからだ。だが真の芸術家というのは、人生の夏が過ぎ、秋と冬の厳しい時期が来て、子どもが産まれ、子どもを育てて厳しい人生を送りながら、その中で美しい歌が書ける人だ」と。美しいだけではない、そこにいろいろな年輪が詰まった歌が書ける人こそ本当の芸術家だということを、ハンス・ザックスは言っているのですね。それがマイスタージンガーの本質、奥義だと。それはワーグナーの人生とも半ば重なっています。

 昨年、今年の8月と二度の公演延期・中止を経て、ようやく新国立劇場の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が上演されることとなった。
 多くの人が、「第1幕への前奏曲」を聴いていると思うが、全幕を通して観たことのある人は少ないと思う。
 それもそのはず、演奏時間は4時間半、歌手・コーラスは100名以上を要するこの楽劇は、おそらく「最もお金のかかるオペラ」の一つであるため、上演機会が非常に少ないのである。
 さて、この楽劇に大きなキズがあることはよく知られている。
 それは、排他的なドイツ文化至上主義と反ユダヤ主義(ワーグナーとユダヤ人をご参照)である。
 排他的なドイツ文化至上主義が露骨に姿を現すのは、第3幕第5場、ラストの手前の「ハンス・ザックスの最終演説」である。
 「気をつけるがいい、不吉な攻撃の手が迫っている。
  ドイツの国も民も散り散りになり、異国の虚仮おどしに屈すれば、王侯はたちまち民心を見失い、異国の腐臭ただようがらくたを、ドイツの地に植え付けるであろう。
 栄えあるドイツのマイスターに受け継がれぬ限り、ドイツの真正な芸術も人々の記憶から失われよう。
 だからこそ、言っておこう。
 ドイツのマイスターを敬うのだ!
 そうすれば、心ある人々をとらえることができる。
 そしてマイスターの仕事を思う心があれば、神聖ローマ帝国は煙と消えようとも、ドイツの神聖な芸術はいつまでも変わることなく残るであろう!


 このセリフが始まった途端、私などはナチスドイツを思い出して白けた気分になるのだが、今回の演出家:イェンス=ダニエル・ヘルツォークは、このキズを見事にカバーしている。
 どういうラストなのかは観てのお楽しみであるが、ヒントは「マイスターじゃないジンガー」である。
 
コメント
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