なぜ村上春樹はノーベル賞を取れないのか 「選ばれないこと」を誇るべきだ
「春樹の作品に登場するのも、多くの場合、疎外意識を抱えた人物だ。とはいえ、春樹ワールドの住民の不自由は、イシグロの登場人物ほど切羽つまってはいない。春樹の描く人間は、自分をとりまく「なじめない状況」に距離をたもち、これと批判的にかかわる。イシグロの世界では、「意のままにできない現実」のただ中に、人びとはいや応なく巻きこまれる。
イシグロの小説は、春樹の作品より深刻な印象をのこす。先ほどカフカを引きあいに出したが、過去の「大文学」に読後感が似ているのは春樹よりイシグロだ。」
村上作品のうち「ノルウェイの森」しか読んでない私に批評する資格はないが、この指摘は腑に落ちる。
「イシグロはカフカの継承者であるが、村上氏はそうではない」という指摘には、辛口ではあるものの愛情がほの見える。
カフカの小説、特に「審判」(「訴訟」とする翻訳もある)には、ある「社会」の中で「個人」が否応なく「不自由」な状況におかれてもがく姿が鋭く描かれている。
村上作品には、「社会」から疎外された「個人」と、ある程度の「不自由」は登場するけれども、これらの関係は必ずしも明確ではない。
また、「社会」と「個人」の相克はぼやけてしまっているし、「不自由」も切羽詰まってはいないということのようだ。
これは吉本ばなな氏の初期の作品にも言えることであるが、私見では、やはり育ちの良さと社会経験の乏しさが影響している。
だが、人間ないし社会の「悪」を捉えきれない作家の小説にも、それなりの味わい方はあるはずである。
「高慢と偏見」などは、そういうたぐいの小説の典型ではないかと思う。
「春樹の作品に登場するのも、多くの場合、疎外意識を抱えた人物だ。とはいえ、春樹ワールドの住民の不自由は、イシグロの登場人物ほど切羽つまってはいない。春樹の描く人間は、自分をとりまく「なじめない状況」に距離をたもち、これと批判的にかかわる。イシグロの世界では、「意のままにできない現実」のただ中に、人びとはいや応なく巻きこまれる。
イシグロの小説は、春樹の作品より深刻な印象をのこす。先ほどカフカを引きあいに出したが、過去の「大文学」に読後感が似ているのは春樹よりイシグロだ。」
村上作品のうち「ノルウェイの森」しか読んでない私に批評する資格はないが、この指摘は腑に落ちる。
「イシグロはカフカの継承者であるが、村上氏はそうではない」という指摘には、辛口ではあるものの愛情がほの見える。
カフカの小説、特に「審判」(「訴訟」とする翻訳もある)には、ある「社会」の中で「個人」が否応なく「不自由」な状況におかれてもがく姿が鋭く描かれている。
村上作品には、「社会」から疎外された「個人」と、ある程度の「不自由」は登場するけれども、これらの関係は必ずしも明確ではない。
また、「社会」と「個人」の相克はぼやけてしまっているし、「不自由」も切羽詰まってはいないということのようだ。
これは吉本ばなな氏の初期の作品にも言えることであるが、私見では、やはり育ちの良さと社会経験の乏しさが影響している。
だが、人間ないし社会の「悪」を捉えきれない作家の小説にも、それなりの味わい方はあるはずである。
「高慢と偏見」などは、そういうたぐいの小説の典型ではないかと思う。