「これは、ティーファクトリーと吉祥寺シアターによる企画。今回は“古代インド哲学”についての考察と振付家・中村蓉とのコラボレーションという劇場からの依頼のもと、創作が行われる。
開幕に際し、作・演出を手がける川村毅は「18人の俳優、ダンサー。そして中村蓉さんとで、とてもエキサイティングかつ深遠な不思議世界が創造できました。どんな年齢の方にも楽しめるものになりました。今を生きる楽しさ、つらさを共有しましょう」とコメント。
振付を手がけた中村蓉は「ついにインドの神々が吉祥寺に降臨! 爆発的エネルギーが迫り来る舞台です。神なのか? 人なのか? お芝居なのか? ダンスなのか? 境界は曖昧模糊のまま。だけど真っ直ぐ届く生命力を、川村さんの言葉から感じます。私も食らい付いて踊りを創りました。言葉と身体、全てに力を注ぐ挑戦を成し遂げた出演者たちのパワーを浴びにいらしてください! 劇場を出て、振り返れば神がいる。きっとその神たちは『ナンデモアリだ! 楽しもう!』と勇気をくれるはず!」と語った。」
「古代インド哲学」を演劇とダンスで表現するという、異色の試み。
(ちなみに、「梵我一如」については、個人的には、やはり「ローソク」の暗喩(命と壺(5))で説明するのがいちばん分かりやすいように思う。)
これがドタバタ劇&ダンスで繰り広げられるわけだが、おそらく、インド哲学専門家の偉~い方たちは眉をひそめて観るのではないか?
だが、「古代インド哲学」の深遠で近寄りがたい雰囲気をぶち壊すことこそが、この企画の狙いなのだろう。
ネタバレになるので、本筋のストーリーは詳しく書けないが、「ブラフマン」と「アートマン」が背格好の似た別々の役者さんで演じられるのが大きなポイントと思われる。
個人的には、脇道のストーリーがかなり秀逸で、川村毅さんは現代社会を風刺するのが得意な作風なのではないかと感じる。
いくつか例を挙げると、
・失業者たち:そろばんと紙で一生懸命作業をするのだが評価されず、「スマホ」のせいで解雇されてしまう。
・現役の労働者たち:スマホを手に寝そべって、(非常に効率的で収益性の高い)”労働”を行う。これらのせいで多くの労働者たちが失業に追い込まれてしまう。
・資本家:めんどくさい”経営”を労働者たちに委ね、安楽な生活をしたいと夢見る。この資本家は、労働者に地位を譲りたくて仕方ないのである。
・自殺者1~3:この世の苦しみから逃れるため飛び降り自殺したが、死後も苦痛が続くので困惑してしまう。死んで後悔するというお話。
・・・という感じなのだった。