④ 「ニュー・グランド・ホテル」
「『昨夜のニュー・グランド・ホテルでの夕食は』と、房子は考へた。『まだ、あれはただのお礼の夕食だった。あの人は士官らしく、きちんとした作法で、夕食を喰べた。食後の長い散歩。あの人は家まで送って来てくれると言ひ出して、山手町の丘の新しい公園のところまで来て、まだ別れる決心がつかないで、港を見下ろす丘の公園のベンチに腰を下ろした。それから二人で永いこと話をした。いろいろととりとめのない話をした。良人が亡くなつてから、私はあんなに男の人と長い会話をしたことがない。・・・・・・』」(「全集9」p254)
「一月二十二日の午前中、房子は竜二と一緒に横浜市長のところへ、媒酌人になつてくれるやうに頼みに行つた。そして快諾を得た。
二人は市庁のかへるさ、伊勢崎町のデパートへ寄つて、案内状の印刷を頼んだ。披露宴のための、ニュー・グランド・ホテルの予約も、すでにとれてゐた。」(p373)
房子が竜二をお礼の食事に誘ったのも、二人が披露宴の式場として予約したのも、小説の中では「ニュー・グランド・ホテル」とされている。
このホテルのモデルは、言うまでもなく、「ホテル、ニューグランド」(横浜市中区山下町10番地)である(途中に「、」が入るのが正式な商号のようである。)。
ちなみに、グーグル・マップによれば、「ホテル、ニューグランド」から「大佛次郎記念館」までは徒歩約16分となっている。
その途中にある「山下町の丘の新しい公園」のモデルは、昭和37年に開園したばかりの「港の見える丘公園」である。
「ホテル、ニューグランド」は、1927年に建設された横浜市歴史的建造物であり、マッカーサー、チャップリンなども泊まった歴史のあるホテルである。
このホテルだけで、横浜についての一つの歴史の本が書けてしまいそうであり、実際、「横浜の時を旅する ホテル ニューグランドの魔法」を読むと、タイプトリップしたような感覚を味わえる。
格式の高いホテルゆえ、ここは「ハレ」の場としては最適だが、竜二が出航する前夜を房子と過ごす場所としてはふさわしくない。
なので、
「ゆうべ二人は山下橋の袂にある古い小体なホテルに泊つた。大きなホテルに泊まることは、横浜ではかなり顔の売れてゐる房子には憚られた。」(「全集9」p298)
ということとなる。
この限られたエリア内にも、(もとは船員用の宿泊施設だったようだが)房子がそうしたように使われるホテルがあり、「ホテル、ニューグランド」を頂点とするヒエラルキーが存在していたのだ。