Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ダンス月間(4)

2024年08月21日 06時30分00秒 | Weblog
 「ライモンダ」第3幕より(マリウス・プティパ振付)
 マリーヤ・アレクサンドロワ
 ヴラディスラフ・ラントラートフ 
② 「アミ」(マルセロ・ゴメス振付)
 マルセロ・ゴメス
 アレクサンドル・リアブコ 
 「ア・ダイアローグ」(ロマン・ノヴィツキー振付)
 マッケンジー・ブラウン
 ガブリエル・フィゲレド
④ 「ジュエルズ」より“ダイヤモンド”(ジョージ・バランシン振付)
 永久メイ
 キム・キミン  
 「バクチIII」(モーリス・ベジャール振付)
 大橋真理
 アレッサンドロ・カヴァッロ
 「海賊」(マリウス・プティパ振付)
 マリアネラ・ヌニェス
 ワディム・ムンタギロフ  
 「ソナチネ」(ジョージ・バランシン振付)
 オニール八菜
 ジェルマン・ルーヴェ
 「ロミオとジュリエット」より第1幕のパ・ド・ドゥ(ケネス・マクミラン振付)
 サラ・ラム
 ウィリアム・ブレイスウェル
 「マーラー交響曲第3番」(ジョン・ノイマイヤー振付)
 菅井円加
 アレクサンドル・トルーシュ
 「マノン」より第1幕の寝室のパ・ド・ドゥ(ケネス・マクミラン振付)
 ヤスミン・ナグディ
 リース・クラーク
 「ニーベルングの指環」(モーリス・ベジャール振付)
 ディアナ・ヴィシニョーワ
 ジル・ロマン
 「ル・パルク」(アンジュラン・プレルジョカージュ振付)
 アレッサンドラ・フェリ
 ロベルト・ボッレ
 「うたかたの恋」より第2幕のパ・ド・ドゥ(ケネス・マクミラン振付)
 エリサ・バデネス
 フリーデマン・フォーゲル
 「欲望」(ジョン・ノイマイヤー振付)
 シルヴィア・アッツォーニ
 アレクサンドル・リアブコ
 「オネーギン」より第3幕のパ・ド・ドゥ(ジョン・クランコ振付)
 ドロテ・ジルベール
 ユーゴ・マルシャン 
 「ドン・キホーテ」(マリウス・プティパ振付)
 菅井円加
 ダニール・シムキン  
      

 Bプロも盛りだくさんの内容だが、終演時刻は18時ころで、Aプロより約25分早く終わった(休憩も2回)。
 さて、上演直後に私が記した感想メモの一部は以下のとおり(番号は上記に対応)。
② 友情と競争の両立。
⑤ 「バクチ」なのにインド?
⑦ 小鳥のカップル。
⑩ このコンビはいつも清潔感あり。
⑫ Aプロとは違う熟年カップルの渋い味。
⑬ たわむれと狂気。
⑮ ドロテの演技力と顔芸。
⑯ シムキンのロー回転。

 今日一番の拍手は⑮のドロテに向けられていた。
 来月で41歳の彼女だが、オペラ座の定年である42歳までは1年ちょっとということになる。
 まだまだ踊れると思うので、定年後も来日してほしいものである。
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ダンス月間(3)

2024年08月20日 06時30分00秒 | Weblog
 「白鳥の湖」より 黒鳥のパ・ド・ドゥ(ジョン・クランコ振付)
 マッケンジー・ブラウン
 ガブリエル・フィゲレド
 「クオリア」(ウェイン・マクレガー振付)
 ヤスミン・ナグディ
 リース・クラーク
 「アウル・フォールズ」(セバスチャン・クロボーグ振付)
 マリア・コチェトコワ
 ダニール・シムキン
 「くるみ割り人形」(ジャン=クリストフ・マイヨー振付)
 オリガ・スミルノワ
 ヴィクター・カイシェタ
 「アン・ソル」(ジェローム・ロビンズ振付)
 ドロテ・ジルベール
 ユーゴ・マルシャン
 「ハロー」(ジョン・ノイマイヤー振付)
 菅井円加
 アレクサンドル・トルーシュ
⑦ 「マノン」より第1幕の出会いのパ・ド・ドゥ(ケネス・マクミラン振付)
 サラ・ラム
 ウィリアム・ブレイスウェル
 「ル・パルク」(アンジュラン・プレルジョカージュ振付)
 オニール八菜
 ジェルマン・ルーヴェ
⑨ 「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(ジョージ・バランシン振付)
 永久メイ
 キム・キミン
 「3つのグノシエンヌ」(ハンス・ファン・マーネン振付)
 オリガ・スミルノワ
 ユーゴ・マルシャン
 「スペードの女王」(ローラン・プティ振付)
 マリーヤ・アレクサンドロワ
 ヴラディスラフ・ラントラートフ
 「マーキュリアル・マヌーヴァーズ」(クリストファー・ウィールドン振付)
 シルヴィア・アッツォーニ
 アレクサンドル・リアブコ
 世界初演 「空に浮かぶクジラの影」(ヨースト・フルーエンレイツ振付)
 ジル・ロマン
 小林十市
 「アフター・ザ・レイン」(クリストファー・ウィールドン振付)
 アレッサンドラ・フェリ
 ロベルト・ボッレ
 「シナトラ組曲」(トワイラ・サープ振付)
 ディアナ・ヴィシニョーワ
 マルセロ・ゴメス
 「椿姫」より第1幕のパ・ド・ドゥ(ジョン・ノイマイヤー振付)
 エリサ・バデネス
 フリーデマン・フォーゲル
 「ドン・キホーテ」(マリウス・プティパ振付)
 マリアネラ・ヌニェス
 ワディム・ムンタギロフ

 3年に一度開催される「世界バレエフェスティバル」のAプロは、17演目という豪華なもの。
 14時30分開演で、途中3回の休憩を挟んで、終演は18時25分という、殆ど歌舞伎か文楽のような長丁場だった。
 ちなみに、今回の休憩時間は、20分・15分・15分というものだが、第15回までは休憩時間「10分」というのがあった。
 最短15分になったのは、もしかすると、「これではトイレに行けない」というクレームがあったからなのかもしれない。
 さて、特に目だったところだけ感想を記すと(番号は上記に対応)、
② ヤスミン・ナグディンは「軟体動物」
④ 「ジャンプング・ハグ」から「キス」というシンプルで幸福感に溢れるコリオ
⑥ 「音楽」によって無理やり結びつけられた二人が、最後は解放され「自由」を踊る
⑧ 若いダンサーたちの清潔感とラストにおける「駆け引き」からの解放
⑪ アレクサンドロワの「魔女」感
⑭ 信頼し合う熟年ダンサー二人による観る”癒し”(それにしてもボッレの若く見えること!)
⑯ ラストの「花びら」の象徴的な意味
⑰ ベテランの安定
といったところである。
 ⑰「ドン・キホーテ」について、昨年の「ダンス・マガジン」で、40歳のドロテ・ジルベールは、「もうバジルは踊れないけれど・・・」と語っていた。
 やはり、グラン・フェッテは年を取ってくると難しいのだろう。
 そのバジルを、42歳のマニエヌラ・ヌニェスが踊っているのは凄いことというべきである
 



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ダンス月間(2)

2024年08月19日 06時30分00秒 | Weblog
 毎年のことだが、8月第一週の土日のスケジュールをどうするか悩む。
 というのは、この2日間に、バレエ・ダンスの公演が集中しているからである。
① 「横浜バレエフェスティバル」
 この数年、8月第一週の日曜日に開催されることとなっている。
② 「バレエ・アステラス」
 同じ週の土曜日と日曜日に開催されるので、日曜日は①とバッティングしてしまう。
③ 「世界バレエフェスティバル」
 3年に一度開催されるが、平日に行けない場合、①②とバッティングしてしまう。
 というわけで、今年は、泣く泣く②を諦め、①と③に行くこととした。
 ちなみに、バッティングに悩むのは客だけではなく、ダンサーの菅井円加さんも、ほぼ毎年出演している①ではなく、③への出演を選択している。

フレッシャーズガラ
・ スーブニール・ドゥ・チャイコフスキー 振付:遠藤 康行 ほか
ワールドプレミアム
・ 「海賊」より グラン・パ・ド・ドゥ
  芝本 梨花子スウェーデン王立バレエ団/ファーストソリスト
  三森 健太朗スウェーデン王立バレエ団/プリンシパル
・ 「Mirror of Sarasvati」 振付:髙瀬 譜希子
  髙瀬 譜希子元アクラム・カーン・カンパニー
  佐藤 健作和太鼓奏者
・ 「グラン・パ・クラシック」より ヴァリエーション
  佐々 晴香ベルリン国立バレエ団/ソリスト ※来シーズンよりプリンシパ     ル昇格予定
・ 「Lilly」より抜粋 Ver.2024 振付:柳本 雅寛
  柳本 雅寛ダンサー、振付家、+81主宰
  大宮 大奨ダンサー、振付家、映像作家
・ 「ドン・キホーテ」より グラン・パ・ド・ドゥ
  秋山 瑛東京バレエ団/プリンシパル
  二山 治雄元パリ・オペラ座バレエ団/契約団員
・ 「ダイアナとアクティオン」より グラン・パ・ド・ドゥ
  加瀬 栞イングリッシュ・ナショナル・バレエ/リードプリンシパル
  エリック・ウルハウスイングリッシュ・ナショナル・バレエ/ソリスト
・ 「Entrelacs」振付:ジャン=クリストフ・マイヨー
  小池 ミモザモナコ公国モンテカルロ・バレエ団/プリンシパル
・ 「ボレロ」振付:髙瀬 譜希子
  二山 治雄元パリ・オペラ座バレエ団/契約団員
・ 「ジゼル」より グラン・パ・ド・ドゥ
  佐々 晴香ベルリンバレエ団/ソリスト ※来シーズンよりプリンシパル昇 格予定 三森 健太朗スウェーデン王立バレエ団/プリンシパル
・ 「No Mans Land」より パ・ド・ドゥ 振付:リアム・スカーレット
  高橋 絵里奈イングリッシュ・ナショナル・バレエ/リードプリンシパル
  ジェームズ・ストリーターイングリッシュ・ナショナル・バレエ/ファーストソリスト

 「フレッシャーズ・ガラ」は主に神奈川県内のバレエ・スクールから選抜されたダンサーによる上演だが、毎年「小顔選手権大会」という印象を受ける。
 幼い頃からバレエをやっていると、小顔になってくる(小顔に見えてくる?)のである。
 「ワールド・プレミアム」の顔ぶれを見ると、先日の「BALLET The New Classic」と共通する出演者が多い。
 海外在住の日本人ダンサーは、この時期に「帰省」と「仕事」を同時にやるということなのだろう。
 バレエに限らず、芸事は2日も練習を休めば腕が落ちると言われているので、「帰省」と言っても休んでいる暇はないのである。
 私見では、高瀬さんがダンサー&コリオグラファーとして活躍しているのが目立つ。
 「Mirror of Sarasvati」は、和太鼓に合わせてインド風(?)のダンスが展開されるのがシュールだし、「ボレロ」では、二山さんの身体能力の高さをフルに引きだしている。
 やはり、二山さんは、「薔薇の精」のような現実離れした異形的な役が似合うようである。
 トリは、昨年好評だった「No Mans Land」の再演。
 今回、どうやら妻には夫の姿が「終始見えていない」設定であることが分かった。
 二人が目を合わせるシーンはほぼ皆無だし、夫がやや大きめの鼻息を立てるのは妻に存在をアピールするためで、おそらくコリオの一部と思われる。
 やはり、傑作は何度も観るべきなのである。
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ダンス月間(1)

2024年08月18日 06時30分00秒 | Weblog
 毎年7月末から8月にかけては、世界中から日本にダンサーが集まる時期である。
 海外のバレエ団に所属しているダンサーの中には、夏休みを利用して”出稼ぎ”に来る人もいるし、海外のバレエ団に所属する日本人ダンサーで、夏休みに”帰省”する人もいる。
 かくして、今年も多くのバレエ・ダンスの公演が開催された。

 「伝統と革新によって築かれてきた「バレエ」を現代の解釈で表現するガラ公演「BALLET TheNewClassic」。 ‘22年8月に行われた第1弾は全5公演完売! クラウドファンディングの達成率も751%と大きな支持を得た。 あれから2年――今回も現代を代表するダンサー、一流のクリエイターが集結し、新たな舞台の幕が開く。
1部
『Anomalous』
 振付: Craig Davidson
  佐々晴香
『別れのパ・ド・ドゥ』
 振付: 堀内將平
  中村祥子 中島瑞生
『ロミオとロミオ』
 振付: 堀内將平
  三森健太朗 マッテオ・ミッチーニ
『Impression of Perception』
  振付: Jason Kittelberger
  鈴木絵美里
『海賊』よりグラン・パ・ド・トロワ
  大矢夏奈 木本全優 三宅啄未 
『シェヘラザード』よりパ・ド・ドゥ
  海老原由佳 堀内將平
『白鳥の湖』よりオデット
  二山治雄
2部
『ショパン組曲 〜バレエ・ブラン〜』
  振付: 堀内將平
  12名 総出演

 「伝統と革新」とあるが、やはり「革新」に力点がある印象で、既成概念をぶち壊すことを狙っているように思われる。
 例えば、『Anomalous』は、ドラムスとバレエという通常想定されない組み合わせによって、観客に違和感を抱かせるし、『ロミオとロミオ』の男性二人によるパ・ド・ドゥや二山さんがチュチュを着て踊る『白鳥の湖』よりオデットなども、観る者を驚かせる。
 上記以外で面白かったのは、『別れのパ・ド・ドゥ』(中村祥子&中島瑞生)。

 「目が不自由な女声が、彼への愛ゆえに別れを告げるが、愛があれば苦難も乗り越えられると信じる年若い恋人は、彼女から離れようとしない。(中略)「視覚が失われる」ことで、相手の物質的な要素(容姿、年齢、社会的地位など)にとらわれることなく、本質を観ることができることに気づいた堀内が、「アンチ・ルッキズム」もテーマに盛り込んだ。」(公演パンフレットp52)

 「アンチ・ルッキズム」をテーマとする作品であるがゆえに、日本バレエ界屈指の美男・美女をキャスティングしたのだと思われるが、この「もったいなさ」が新鮮な印象を与えるのである。
 だが、今回の公演で私が最も驚いたのは「音楽」である。
 全て生演奏だが、客席にもステージ上とさほど変わらないくらい大きなボリュームの音が響く。
 どういう仕掛けなのか分からないが、これも新鮮だし、個人的には、金森大さんというピアニストを発見したのが大きな収穫だった。
 この人の演奏には、通常のクラシックのピアニストとは異なる種類のパワーを感じるのである。
 

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タフで、クールで・・・・・・やさしい

2024年08月17日 06時30分00秒 | Weblog
 「約70年にわたって映画界で活躍した女優のジーナ・ローランズさんが死去した。94歳だった。ローランズさんの息子ニック・カサベテスさんの代理人の事務所が確認した。
 死因など詳細は明らかになっていない。
 ローランズさんは、最初の夫である映画監督のジョン・カサベテスさんとともに初期の独立系の映画作品で知られる。ローランズさんはその後、「微笑みをもう一度」(1998年)や「きみに読む物語」(2004年)などのヒット作にも出演した。

 30年以上前の話だが、今はなきミニシアター「シネヴィヴァン六本木」で、”カサヴェテス・コレクション”というのをやっていた(“カサヴェテス・コレクション”1993年)。
 私は、上演された全作品を観たばかりか、「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」に至ってはレーザー・ディスク(!)まで買ったし、他の作品についてもレンタルビデオを借りまくった。
 今手元にあるジョン・カサヴェテス作品のブルーレイは、
① アメリカの影
② フェイシズ
③ こわれゆく女
④ チャイニーズ・ブッキーを殺した男
⑤ オープニング・ナイト
(以上、5枚組セット)
⑥ 愛の奇跡
⑦ グロリア
⑧ ラヴ・ストリームス
の計8枚である(彼が準主役を演じているVHS版の「ローズマリーの赤ちゃん」も持っていたが、引越しの際に処分したのが惜しまれる)。
 こういう風に並べてみると、カサヴェテス監督は、「精神が崩壊しつつある/崩壊してしまった女性」を繰り返し取り上げている(あるいはそのような映画に出演者している)ことが分かる。
 ①(レリア)、②(マリア)、③(メイベル)、⑤(マートル)、⑧(サラ)と「ローズマリーの赤ちゃん」のローズマリーがそうである。
 ジーナ・ローランズは、カサヴェテス監督の妻であり、②③⑤⑥⑦⑧に出演し、いずれも主役か、そうでなくとも重要な役を務めている。
 「メンタル崩壊型」の役のうち、ジーナ・ローランズが演じたのは、③⑤⑧であり、いずれも映画史に残る名演だが、彼女は、これとは真逆のタイプの女性の役を演じたことがある。
 それが「グロリア」であり、私はこれこそ彼女の最高傑作だと思う(とはいえ、彼女の上演作品を全部観たわけではないけれど・・・)。
 大雑把に言うと、パーフェクトな殺し屋のグロリアが、行きがかり上、ギャング組織から命を狙われている少年フィルを預かることになってしまい、逃避行を続けるうちに母性愛に目覚めるというストーリーだが、ブルーレイのパッケージに書かれたキャッチ・コピーは、そのままジーナ・ローランズに捧げられたものといって良いと思う。
 「グロリア、あんたはすごい。タフで、クールで・・・・・・やさしいよ。
 合掌。

 
 
 
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ラスト・コンサート

2024年08月16日 06時30分00秒 | Weblog
M.ラヴェル
「マ・メール・ロワ」
「ダフニスとクロエ」より 第2組曲
G.フォーレ
「レクイエム」op.48
<アンコール曲>
G.フォーレ
「ラシーヌ讃歌」

 フランスの指揮者:ミシェル・プラッソンは、御年90歳。
 これが日本でのラスト・コンサートとなる。
 選曲はラヴェルとフォーレというフランス音楽の巨匠二人。
 ラスト・コンサートで「レクイエム」というと、何だか「生前葬コンサート」のようで、小椋佳を想起させる。
 もっとも、プラッソン氏は、終始笑みを絶やさず、上機嫌であった。

第6曲:Libera Me(私を解き放ってください)
私を解き放ってください、主よ、永遠の死から。
(中略)
永遠の安息を、与えてください、彼らに、主よ、 
そして絶えることのない光が、輝きますように、彼らに。
私を解き放ってください、主よ、永遠の死から。 

 私見では、フォーレの「レクイエム」で特徴的なのは、この第6曲 リベラ・メ<私を解放してください>である。
 最初と最後は、

私を解き放ってください、主よ、永遠の死から。

となっているものの、中間部では、

永遠の安息を、与えてください、彼らに、主よ、

などと、「彼ら」(死者)に救済としての「永遠の安息」を求める歌詞となっている。
 このくだりからは、「私」は、最終的に「私」が永遠の死から解放してもらうため、神に対し、「彼ら」のために祈りを捧げているように読めるのだが、ここにプロテスタントとの大きな違いを感じるのである。
 というのも、カルヴァンの予定説によれば、神による救済は、
 「予(あらかじ)め定められている」であり、それを定めるのは絶対の権限を持つ神だけである、したがって「人間はすべて平等に創られてはいない。永遠の生命にあずかるもの、永遠の劫罰に喘ぐのも、すべて前もって定められている
 したがって、「彼ら」のために「私」が救済を求めるというのは、意味がないどころか、神をもおそれぬ行為ということになるはずだからである。
 もっとも、私はクリスチャンではないので、プロテスタントの人が「レクイエム」をどう解釈しているのかは分からない。
 それはともあれ、ミシェル・プラッソンさん、ありがとうございました。
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ゲネプロしない

2024年08月15日 06時30分00秒 | Weblog

 毎年プレトークも面白いので、開幕40分ほど前に会場に到着し、指揮者の藤岡幸夫さんの解説を聞く。
 「惑星」は、初演で成功したものの、その後長らく忘れられていたところを、1961年にカラヤンがウィーン・フィルで上演し、息を吹き返したという経緯がある。
 もっとも、藤岡さんの世代の音楽家にとっては、冨田勲さんによるシンセサイザー・バージョンのインパクトが強く、「富田さんの曲」というイメージがあるらしい。
 全7曲のうち、何といっても一番人気は第4曲「木星、歓喜をもたらす者」であり、藤岡さんいわく
 「『惑星』と言いながら、みんな『木星』を聴きに来ている」。
 当然、オケの皆さんも練度が高いわけで、東京シティ・フィルでは、「木星」についてはゲネプロをしないそうである。
 ゲネプロで演奏すると本番での演奏のインパクトが弱まるため、演奏は「一日一回」にとどめる主義らしいのである。
 野球で言えば「一球入魂」といったところか?
 もちろん、この日の演奏は全曲素晴らしく、中でも「海王星」の神秘的な女声コーラスが印象に残った。
 「遥か遠くから響いてくる」声を演出するために2階の廊下で歌うらしく、カーテン・コールにも出て来ないので、皆さん私服で歌っていたそうである。
 
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ピアニストとルッキズム、あるいはスタンディング・オベーションの問題

2024年08月14日 06時30分00秒 | Weblog
・J.S.バッハ:イタリア協奏曲 BWV971
・ショパン:ノクターン op.27/ポロネーズ第5番 嬰ヘ短調 op.44/同 第6番 変イ長調 op.53「英雄」/バラード第1番ト短調 op.23/同 第2番ヘ長調 op.38
・プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 op.83「戦争ソナタ」 
<アンコール曲>
・ショパン:マズルカ イ短調op.17‐4
・リスト:ラ・カンパネラ

  「今年は年明けから、辛い出来事がありました。
 この頃、今日のプログラムの作品たちを弾いているとふと、別に特定の何を思い出すでもなく、何か抑えられない感情が溢れてくる瞬間というのが何度かありました。何かが急にギュッと胸を締め付けたり、グルグルした渦が脳みそを飲み込んだり、たまにそのまま堕ちていって抜け出せなくなったり。
 でも、そんな感情から自分を救い出してくれるのもまたこれらの作品だったりして、それが音楽の憎いところだなと思ったりもします。」(公演パンフレットより)

 「高度なテクニックが必要なリストの「ラ・カンパネラ」も10歳の時に弾きこなし、動画投稿サイト「ユーチューブ」で10万回近く再生されている。
 リサイタルは、父親らが中心となって企画。一緒に演奏してきた音楽家や音楽仲間らも加わり、昨年秋から手作りで準備してきた。

 4月のコンサートのとき(ホールとサロン(4))、亀井さんは演奏中にしきりに鼻をすすっていた。
 当時は「花粉症かな?」と心配していたのだが、どうやらそうではなかったっぽい。
 あくまで推測だが、亀井さんは、演奏しながら泣いていたのだと思う。
 実は、今年の2月末、亀井さんのお父さんが急逝していたのである。
 親を亡くした経験のある人なら分かると思うが、しばらくは、自分が幼いころの記憶などが蘇ってきて、仕事が手につかなくなったりすることがある。
 12歳の時の初めてのピアノソロ公演を企画してくれたのは彼のお父さんたちで、その後もお父さんはコンサートの時客席で聴いていてくれたそうである。
 お父様に合掌。
 ・・・さて、最近、ピアノのリサイタルに行くと、ちょっと気になることがある。
 それは、スタンディング・オベーションをする人たちの属性である。
 例えば、亀井さんのリサイタルの場合、スタンディング・オベーションをするのは、老若を問わず圧倒的に女性が多い。
 最近行ったコンサートで言うと、アレクサンダー・ガジェヴの際もやはり(若い)女性が多かったが、古海行子さんのコンサートでスタンディング・オベーションをしていたのは、殆ど中年以降の男性であった(盛り合わせ&バラ売りのコンセプト)。
 何が言いたいかというと、近年、ピアニストに限らず、クラシック音楽のソリストについては、ルッキズムの要素が重要性を増している、というか、問題を生じさせているということである。

 「ここ数年、いや、もう少し前からかもしれないが、音大生や若い音楽家を困らせている中年男性たちがいる。
 彼らは、Facebookの熱心なユーザーで、音楽家の卵や若い音楽家を応援していると言い、主に女子音大生や若い女性演奏家とFacebookで「友達」になり、彼女たちの写る写真のことごとくに「いいね!」をつけ、「かわいいね」などのコメントを連発する。実際にコンサートに訪れ、終演後に写真を撮る(なんと、舞台上での写真を撮る場合もあるらしい)。そして、それらをFacebookに投稿し、その投稿内でもっともらしく演奏を論評(批判的な内容を含んでいるものも見かける)する。
(中略)
 私たち、とりわけ実際に彼らに絡まれている彼女たちに不快感や嫌悪感をもたらしているものは、彼らの容姿を見る目の品性を欠いた露骨さ、そして、彼らが、音大生や若い音楽家の距離の近さ(接触のしやすさ)を利用して接触し、音楽好きという仮面を着けることで不純さを隠している(実際は全く隠せていないのだが)ことの悪質さだろう。
 
 この記事では「中年男性たち」がやり玉に挙げられているが、問題となる行動は、もちろん「中年男性たち」のものに限られない。
 スタンディング・オベーション自体は問題ないと思うが、例えば、最前列付近の席を先行販売などで買い占め、リサイタル当日は集団でスタンディング・オベーションをするような行為についても、やはり似たような問題性を感じるのである。
 もっとも、これはもしかすると気のせいかもしれない。
 なので、今度は、既婚者であり、ジムに通って肉体改造したという反田恭平さん(世界2位のピアニスト反田恭平 ジムに通って肉体改造したわけ)のコンサートのスタンディング・オベーションを観察してみることにしよう。


 
 
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音楽からミサイルへ

2024年08月13日 06時30分00秒 | Weblog
 「アメリカの南北戦争に起源をもつ伝統的なドラム・コーとマーチングバンドをショーアップした、究極のエンターテインメント!
 12種類以上の「金管楽器(ブラス)」、51種類以上の「打楽器(パーカッション)」が使われ、パフォーマーたちが絶えず動き回る。まさに楽器が踊り出す! そしてフラッグや手具を駆使する「ヴィジュアル・アンサンブル(ダンサー/カラーガード)」の激しく美しいダンスパフォーマンス。
 超一流のパフォーマーが集まり、常識では考えられない動きと技、とびきり美しい音楽で私たちを刺激する必見のショー!

 私は初見なのだが、ジャンルを特定しづらい芸術だと思う。
 単なる楽器の演奏ではなく、演奏しながらダンス(明らかにバレエのコリオを取り入れている)したり、楽器をおもちゃのように使ったり、フラッグ・手具を駆使して視覚を刺激したりする、「混合芸術」とでも呼ぶべきものと感じる。
 起源は、ドラムコーマーチングバンドだそうで、これにカラーガードが加わったものと見てよさそうである。
 ドラムコーはもともと軍隊における歩調合せ及び信号伝達部隊を指しており、マーチングバンドも起源は軍楽隊で、カラーガードの原義は「旗衛隊」だそうである。
 つまり、blast は、軍事化儀礼を芸術化したものと言ってよい。
 こうした意味において、blast は、戦争を無害化・遊戯化したスポーツと似ているように思う。
 そういえば、古くはホメロスの時代から、音楽は軍事化にとって必須のものだった(カタリーナ、スケープゴート、フィロクテーテース(12))。
 現在も、一部の国にとって、音楽は、ミサイルと並んで軍事における必須アイテムとなっている。

 「1位(14:25あたりから)は「我らは貴方しか知らない」という金正恩同志を称える歌ですが、もうこのへんまで来たら、どの曲も同じに聴こえます。男声合唱というだけで、さっき聴いた曲と同じに聴こえて。これが女声コーラスだとモランボン楽団の曲に聴こえますが、検索したらすぐ出てくることでしょう。あ、すぐ出てきたけど、なんと米帝の楽団が演奏してるのが出てきたのでそれを貼ります。

 かくいう我々日本人も、長いこと「偉大な父」を頂点とする枝分節集団をつくるのが大好きな民族だったし、今でも、「偉大な父」を崇拝したり、その二世・三世が大活躍する業界やカイシャは多い。
 なので、インストルメンタル・バージョンの「我らは貴方しか知らない」を聴かせると、思わずみんなで歌いながら行進したくなる日本人は多いはずである。
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限りなく低い「愛」のハードル(6)

2024年08月12日 06時30分00秒 | Weblog
(引き続きネタバレご注意!)

 「これからも俺は、こんな風にお前の幽霊を見ることになるのだろうか?
と語りかけるウィレムに対し、パウリはギターを奏でながら、ある歌をうたい始める。
 マーク・アイツェル氏が作った”GO WHERE THE LOVE IS”(愛のあるところへ行け)という曲である(YouTubeで検索すると出て来る)。
 アイツェル氏はこう語る。

 「「Go Where the Love Is」のコーラスはくだけた話言葉。いわゆるありがちな決まり文句。・・・その音楽が、自分にとって何か意味があるのかもしれないということを、彼が不本意ながらも理解する、それが「彼方からのうた」であり、亡くなった弟からの最後の贈り物です。」(公演パンフレットより)

 パウリが歌い終わると、今度はウィレムがこの曲の一節をつぶやくようにうたったところで、芝居の幕が下りる。
 ところで、スティーブンス氏は、
 「それにしても、絶対に読まないとわかっている相手に手紙を書くというのは不思議な行為だと思いませんか。」(公演パンフレットより)
と問いかける。
 いかにも英国流の韜晦のようであるが、これがこの芝居の最大のポイントであることは疑いがない(余談だが、公演パンフレットを読むと、意外にもスティーブンス氏はマルチエンヌ(?)のセリフに肯定的な意味を持たせており、慎重に解釈すべき劇作家であると言う印象を受けた。)。
 ウィレムは、「話がしたい」としきりに言っていた。
 原文は見ていないが、この動詞はおそらく"talk"だろう。
 ”talk”という行為は、発せられるや否や直ちに減衰してしまう「音声」によって、その場にいる相手に特定のメッセージを伝える行為である。
 「愛」の必要条件は、主体間の双方向的(インタラクティブ)な行為であることだが、相手が死んでいる場合、インタラクティブな"talk"は不可能である。
 それでは、一体どうすればよいのだろうか?
 その場に相手がいないのであれば、「書く」(write)こともやはり無効ではないか?
 ・・・いや、そうではない。
 私見では、ここにスティーブンス氏&アイツェル氏の仕掛けたトリックがあると思う。
 この芝居における「手紙」は、パウリに宛てられたという体裁をとっているものの、実際は観客に向けて朗読されるものであり、やはり”talk”の対象である。
 ということは、作者は、この芝居において、作者またはその分身であるウィレム(ないし俳優さんたち)と観客との間のインタラクティブな営為を想定していると考えられるのである。
 なので、先のスティーブン氏の問いかけは、
 「この手紙(あるいは芝居)は、皆さんに対する私たちのメッセージなのですよ。皆さんはこれにどう答えますか?
という風に理解することが出来る。
 そして、大雑把に言うと、私たちが日常的に行っている"talk"または"write"という行為こそが、実は「愛」の中核を成しているというのが、そのメッセージだと考えられるのである。
 実際、ウィレムは、「手紙」を書き続けることによってパウリの幽霊(ゴースト)を出現させ、「愛」の実現に成功した。
 要するに、「愛」のハードルは、限りなく低かったのである。
 のみならず、ウィレムは、「愛」を超えて「「歌」をうたう」境地にまで到達した。
 では、この「歌」とは一体何だろうか?
 思うに、これはかなり難しい。
 アイツェル氏の言葉とパウリのセリフをヒントにすれば、「歌」をうたうということは、”talk”や”write”とは異なった、レフェランとの一義的な対応関係をもたない(したがって必ずしも特定のメッセージの伝達を目的としない)シニフィアンによる「自己目的的な営為」であるということになるだろうか?(もちろん、この種の問題に正解などあるわけがないのだが・・・)。
 むむむ、「自己目的的な営為」と言えば、「歌」以外にも、「ダンス」というものが存在するではないか!
 なので、私は、スティーブンス氏&アイツェル氏には、次は「彼方でのダンス」という芝居を作って欲しいと思うのである。
コメント
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