パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

9月も暑い

2024年09月13日 09時17分52秒 | ダイアリー

9月になってもクソ暑い
怒りを覚えるほどだ
昨晩は寝る一時間ほど前にエアコンを切って窓を開けておいた

暑いと言っても9月だから、夜はそのうち涼しくなるだろうと期待した
ところが入ってくる風はどこか生ぬるいし、湿気を含んでいる
それでもそのうちに、と期待したが起きるまで暑いままだった

でも一旦目を覚ましたのは3時半くらい
こちらの寝る方も根性があるようだ

朝から蒸し暑いので、今年よくやってるように気温変化のグラフを作ってみた


今日、13日までのグラフで緑が今年
特に9日以降に暑さが続いている
これは実感どおりだが、本当に怒っても仕方ないが怒れてしまう

先日、新城議会の一般質問の傍聴に行ったが、
そこで体育館のエアコンについての質問があった
新城市では地震台風の避難場所として小中学校の体育館があがられているが
最近実感するバカ暑さを思うと、エアコンなしで過ごすというのはとんでもないことと思う

以前、盆踊りの練習に小学校の体育館を使っ時のこと
体育館はエアコンがないので自宅の扇風機を持っていった
ところがが、全く効果はなかった
最近利用者の多い小さなUSBの扇風機は、暑いときには熱風を受けるだけになるから
使わないでようにとテレビでも伝えられていたが
まさにそんな感じで、体育館の扇風機は熱い風をかき回しているだけだった

でもその中で、子どもたちは走り回っていたのは、
子どもというのはそんなものだというものの、ちょいと呆れてしまった

とにかく暑い、、
エアコン無しで暮らすのはきつい
だから停電が怖い

怖いのは電気代もそうだが、8月分は高止まりは仕方ないと覚悟していたが
ラインで知り得た電気代は、高いには高いが、利用明細の電気使用料は
前年よりも少なかった
あれだけ使ったのに少なかったのは、今年エアコンを買い替えたからだろうか
(単に去年のことは忘れているからかもしれないが)
新しいエアコンは多くの機能があると同時に、節電効果も優れていると
思い込むことで自分を正当化できるから、そう思うことにしよう

それにしても、暑い

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しょうがないことかもしれない

2024年09月10日 08時34分49秒 | ダイアリー

腰が痛い 目が霞む 集中力が続かない
気がつくと脚が随分細くなっている
昔はサッカーをしていたので、脚が太くなってズボンを購入するときには
腰の周りのサイズではなくて脚の太さを気にしたものだった
脚が細くなると筋力も落ちてくる
階段を登るときも、以前ほど楽に登れないことにショックを受けて
最近はジムで脚の筋力を鍛えるメニューを取り入れている

ちょっと昔を振り返る意味で、ブログを書籍化したものを読んでみた
「住民投票と庁舎見直しの記録」「庁舎用地外移転補償騒動」の2つだ


これらは約9年前と8年前に書かれたものだが
今振り返って読んでみると、案外間違った認識のものがあって
赤面するのだが、それらは感情の勢いとか当時の空気感の現れで
記録としてはリアリティのあるものになっているかも知れない

ところで、少しショックだったのは、その書籍化されたブログの一つ一つが長くても
案外まとまっていたことで、そこには気力の持続が感じられる
自分が残したものと記憶をたどりながら読んでも、今は面倒くさいとさえ思えてしまうが
あの時は、よくできたものだなと思えてしまう(今は多分できていない)

ボケ防止のためのこのルーティンワークも、少しづつ面倒臭いという気分が支配的になる
目がしょぼい、気力が続かないせいだが、
こうした自分の能力の低下を含めて自分と向かい合うのは、それはそれで意味あることと
思い込むことにしている

ということで、残念な出来事も受け入れざるを得ないということ





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残金は少しでも少なくしたい

2024年09月07日 08時35分36秒 | ダイアリー

5000円で8000円分の買いができるデジタル商品券
「新城さくらペイ」は新城商工会が発行している
これまでは紙に印刷されたもの使われていたが
時代の流れでとうとうスマホのアプリに取って代わられた

年寄りが多い新城市で、時代の流れとは言え利用者はいるかな?
と思ったが、締め切り時点では応募者が多く
二口 10000円で16000円分の申込みをしたが
一口だけの当選となった(後で追加があるかも知れないと連絡はあった)

地元の店で使える地元応援券と、チェーン店でも使える共通券の2つに分かれ
それぞれが4000円分の買い物ができるようになっている(合計で8000円分)

使い方は、ほとんどペイペイと同じだ
店で店頭にあるQRコードを読み込んでレジを確認し、買物金額を入力し
店の人に確認してもらって支払うようになっている
ただQRコードの読み込みが上手く行かず、QRコードが書かれた紙に書かれた
店舗番号を入力して店舗を確定する方法をとっている

使えるようになってからこの商品券はあっという間に使ってしまった
普段の買い物に使ったこともあるが、3000円分儲けている意識もあって
気楽に使ったからだ

だが、残金が終わり頃になると使い方を考えてしまう
現金とこの商品券を一緒に使うことはできないみたいで
(商品券の残金分を使って、不足分は現金で払おうとしたら断られた)
ほんの少しでも残金があるのはもったいないと思える

残金を見て、この金額で何が買えるか考える
コーヒー豆は買える
牛乳1Lは少し足りないから買えない
お菓子なら買えるかも知れない
そんなことを考えながら1円でも無駄にしたくない気持ちで
結局は地元応援券、共通券で残り50円ほどまで使った

50円残ったが仕方ない、、というところだが
9月になってこの商品券にキャンセル分が出たので
追加でもう一口手に入ることになった
早速入金を済ませ、またまた気前良く使う

残金は今のところ地元応援券が1741円、共通券は1104円
この内、共通券は缶ビール6缶1058円が使える
46円の余りが出るがこのくらいは仕方ない

地元応援券はAコープか飲食店で使うつもり
多少の半端は仕方ないといったところ

自分は案外細かいなとかケチだなと実感する
最近は缶ビールもヨーグルトも納豆も安い店で購入する
ストア・ロイヤルティなんてものは、全く無い感じで
単に価格だけで店を選んでしまう

でも、価格だけで選択される店舗というのは大変だなと思う
気分的にはAコープだけは少し高くても仕方ないか
と思ったりするが、競争が厳しいというか大変な世の中だ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月の気温と木瓜(ボケ)の花

2024年09月03日 09時35分45秒 | ダイアリー

8月後半はノロノロ台風のせいで、猛暑だった気温は少しは下がったのだろうか
と、8月の気温変化のグラフを作成してみた
(16日まではすでに作成し、ここに取り上げている)

青が今年のグラフで、22日まではしっかり暑い
その後、台風の雨で地表が冷めて時々エアコン無しで過ごすこともできた
だが、こうして3年を比較するとやはり地球は沸騰化していると実感する

このバカ暑かった気温のせいかどうかは知らないが、庭のボケの花が咲いた

全く季節はずれで、文字通りボケているようだ
花は庭の主人に合わせたのだろうか

季節はずれに咲く花というのは、一種の突然変異なのだろうか
こうした花のほうが生き延びるような何らかの利点があって
そういう種が少しづつ多くなっていくのだろうか
(それがわかるのは時間が随分経過した時だろうな)

今日は猛暑復活との予報が出ている
だが秋は着実に近づいている
朝夕に虫の声も僅かに聞こえるし、トンボも見かける
今年あまり刺されなかった虫からも、防虫剤をしても刺されることがある
太陽の光は南から家に差し込むようになっているし
日の出は遅くなっている
もう少しの辛抱だ

昨日から再開した小学校校門までの付き添いウォーキング
子どもたちに「学校に行けるの、嬉しい?それとも悲しい?」
と試しに聞いてみると、「行きたくない」と答える子が二人
だが答えとは裏腹にどこか興奮気味で、いつもよりおしゃべりになっている
やはり友だちと会えるのは嬉しいのだろう(と想像した)

それにしても、夏はかなわんな!




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運休から連想したこと(思い出したこと)

2024年08月28日 09時19分01秒 | ダイアリー

飯田線は長山、中部天竜間が雨のため運休になった
豊橋の高校へ通う学生さんはどうするのだろう?
と思ったが、今は夏休みの最中で心配することはなかった
だが通勤している人はどうしているのだろうと気になった

昔、飯田線を利用していた時期、ストライキで電車が動かないことがあった
その時はバスで豊橋まで行ったが、バスは大回りというか
色んな所まで走ったので電車よりも時間がかかった
(珍しい道を走ったので、それはそれで面白かった)

もっと以前の頃、約2キロ先の中学へは自転車で通学した
最初のうちは雨が降ると近くの停留場から大宮口までバスに乗った
濡れるのを避けるためだったが、大宮口から中学までは少し距離があったので
結局は濡れる羽目になった
それに帰りの時間にバスがなくて、歩いて帰らなければならなかった
だからそのうち開き直って多少濡れてもカッパを来て通学することになった
(今の中学生もカッパで通学がほとんどだ)

豊橋の高校に通っていた時、飯田線が動かないだけではなく
渥美線がストライキで運休のときもあった
その時は豊橋駅から高校まで歩いていった
同じような学生が多かったので、豊橋駅から彼らの後を歩いていったが
歩く道は電車のコースと違っていた
変な道を歩くものだと思ったが、実は道のほうが線路より自然に高校まで
つながっていたのかもしれない
今はどの道沿いに高校があるのか全体像が浮かぶ

昔はストライキによる運休はさほど珍しくなかったかも知れない
少なくとも運休を迎えた何も知らない自分等はそんなものか、、
と受け入れるだけだった
といっても、ストライキの記憶はその後無いから
あれが労働運動の最後の輝きだったのだろうか

二日ほど前は11%台だった宇連ダムの貯水率は、今は33%台に回復している
台風は依然として九州の南にあるのだが、その影響力の大きさは
日本全国に広がっている

ここ数年の天候のパターンは、晴れれば晴ればっかり
降れば雨ばっかりという感じが多い
天気予報を見れば、ここ一週間ほどは雨のようだ
暑すぎるのがなくなるのは良いが、雨は直ぐに飽きる

大河ドラマではユースケ・サンタマリアの扮する安倍晴明は雨乞いをして
運良く効果があったようだが、聞くところによると雨乞いでハズレがなかったのは
安倍晴明と空海さんだったらしい

ということで、フト昔のことを思い出してしまった
これば「失われたときを求めて」のマドレーヌと同じ心の動きなのだろうか





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰かの夢を見た

2024年08月27日 08時57分08秒 | ダイアリー

あれは誰だったのだろう?
目醒た時、妙に心が満たされていた気分だった
夢は見た本人にしかわからないのが、良かったと思う
(何故か内緒にすべきものだと感じていた)

女性の誰かと話していた
時間がない中で焦って何とかきっかけを作ろうとしていた
コンサートのチケットが自分の分だけあったのだが
もう一枚手に入れるから一緒に行かないかと誘っていた

無視されると思ったが、答えは希望を抱かせるものだった
それで何か救われたような気がしたのだが
目覚めてみると、それが誰だったのか一向にわからない

その上、何故そんな夢を見たのかもわからない
(夢を見た理由がわかるときもある)
ただ、いい夢だったという感覚だけは残っていた

昨夜は深く眠れずにいた
激しい雨音と雷で目が覚めて、少し開いている窓を閉めて
寝ようとしたが、いつまでもウトウトしただけで、頭は半分起きている感じだった
それで、このようなおかしな夢を見たのだろう

夢は心の奥に巣食っているものを、不意に全く想像のつかない形で目の前に現す
不安、憧れ、怒りが多く、理性というよりコントロールできない感情的なものが多い

こんなふうにコントロールできない思いをまだ心のなかに隠し持っている
ということは、まだまだ傷つく感覚を持っているということだろうか

いつも、自分の歳を思う時、〇〇歳って、こんなものか!
と情けなく思うが、急に立派な人格になれるわけではない
ありのままを受け入れるしかない

それにしても、あれは誰だったのだろう?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

困った天候の日々が続く

2024年08月25日 09時10分07秒 | ダイアリー

昨晩は床につく頃、雷がなった
夕方、空を見れば厚い黒い雲がでていて
庭の木の水やりを迷ってしまうほどだった
お隣さんとは、水やりは無駄になるかも知れないね
と話したものだった

雷は光ってから音がするまでの時間を測った
10秒以上あったので遠くのように思われたが
大きな音は迫力がありすぎて、ありがたくないものだ

そのうち市の防災無線で、洪水警報がでたと大きな声で伝えられた
(防災無線は何故か大きな声の場合と小さな声の場合とある)
この地方の水瓶、宇連ダムの貯水量は11%台になっていたから
これで少しは補給できることになった
今朝、貯水量をチェックすると13%台になっていた

雷と蒸し暑さで眠れないかと心配したが、なんのことはない
知らないうちに眠っていた
朝方は窓から涼しい風が忍び込んで、ついタオルケットを探してしまった
温度計はいつもより1℃低い数字を示していた
こうして少しづつ秋になっていくようだ

テレビでは台風10号の予報を繰り返している
どうやら日本を横断というより縦断する可能性が大きいようだ

自分が子供の頃、祖母は台風のことを大風(おおかぜ)といった
今思うと台風よりどこか風情のある感じだ
大風が過ぎて大したことがない時、もう少し大きいほうが良かったのに!
となんだか拍子抜けしたような気もした
こうした心理的な反応は、人には比較的ある傾向だそうだ
病気の検査をして何もなかった時、ホッとすると同時に
がっかりするというのがよく見られるらしい
(これは自分もなんなく解る)

大風が来る前には父が玄関に何枚も板を打ち付けた
強風で何かが飛んできても被害を受けないようにするためだった
大風の思い出は、自分はこのくらいしかないが
妹たちは伊勢湾台風の時、畳が床からの風で舞い上がってしまいそうで
あっちこっち畳を踏むようにしていたと自慢げに話すのだった

ということで、災害の多い昨今
できれば拍子抜けするような軽いものであって欲しい
天地異変は政治が上手く行っていないからと信じた平安時代は
人は今よりも謙虚だったのかも知れない






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

温かい水

2024年08月18日 08時48分24秒 | ダイアリー

あっ!
思わず声が出た
朝、手を洗おうとして水道の蛇口を捻ったら温かい水が流れてきた
まるでお湯のようだ

今年の夏は半端なく暑い
昨夜は寝苦しいほどの暑さだった
エアコンは切っているから0時半くらいに目が覚めた
ほんの少しだけエアコンを入れて、団扇で煽って寝ようとする

窓を開けて風を入れようとすると
ホコリの匂いを含んだ生暖かい風が入るだけだ
窓の外、南側の庭に打ち水しようかな、、とさえ思いつく

打ち水をすると気化熱で風が冷たくなるよりは
蒸し暑さが増してくるのだろうか、、との不安もある

結局、何もしないで寝ることに専念する
背中は少し汗が滲んでいる

室内で熱中症にかかる人が多いとニュースでは報道されている
体力が落ちてきた同居人が心配だが、思いの外、眠れているときが多い

こんなに熱い水だと、そうめんをしめることもできない
同居人がなにかに怒っているようにつぶやく

7月20日くらいから今日の8月18日まで、雨という雨は全く降らないでいる
地面が冷える機会がまったくないので、熱は溜まる一方
毎日が熱の足し算のようで、朝になっても爽やかな空気ということはない

ホント、怒れちゃう、、
このクソ暑さは、人間どもの悪政を天が懲らしめている
と無邪気に信じでいた平安時代は、今よりもマトモだったかも知れないと思ったりする

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちんくしゃ

2024年08月17日 09時37分09秒 | ダイアリー

もっと心に素直に従えば良かった
「光る君へ」で、まひろが久しぶりに道長と逢瀬を迎えた時に
実感したことはこれだった

歳を重ねると、きっと誰もがこのような後悔の念を覚えるのだろう
例外もなく、自分もそうだった

「ちんくしゃ」
犬のちんが、くしゃみをした時の顔を想像させるということで
彼女につけられたニックネームだった
男たちはそれで通っていたが、彼女は知っていたかどうかはわからない
ただ、よく動く大きな黒目と少し肩がすくんだところは
まさにニックネーム通りでうまいこと名付けたものだと思っていた

高校一年の同じクラスに彼女はいた
普通は話してみて人は理解し合うのだが、初めて見たときから
気になって仕方なかった
どこか心が動いて、何時も気づかれないように彼女を見ていた

彼女は美人の部類に入って多くの男子は彼女に惹かれていたと思う
クラスには委員長の役を自ら引き受ける元気な男がいた
彼は自分の気持ちを隠さずに彼女にアプローチし
しばしば彼女と話し込んだり、一緒に行動したりしていた

でも、僕を見る時にふっと見せる彼女の視線は
「もしかしたら!」と思わせるものだった

その実感みたいなものはクラスが変わっても3年間は続いた気がする
例の元気な彼はクラスが変わって、その後どうなっていたかは知らない

もし仮に自分の実感通りだったとしたら、自分は彼女の眼の前で
やってはいけないことをしてしまった
ある時、日記にはその人の名前ばかりが書かれたひとつ下の人に話しかけた
話しかけた内容は、付き合ってくれといった内容ではなくて
今も思い出すと笑えてしまうが、これからはこうした方がいいよといった内容だった
なんで、そんなことを言ったのか、、、
いつも頭の中でその人のことを思っていたから、自分が彼女のことを知ってるくらい
彼女も自分のことを知っていると勘違いしていたのだ
今思うと、そんなことを言われた人は随分困っただろう
そして、これは若き日の暴走として覚えている

でも、その話しかけた場所の直ぐ近くに「ちんくしゃ」はいた
「ちんくしゃ」は僕らを見ていた

それから少しして間接的に「ちんくしゃ」の女友達から
「ちんくしゃの憧れの君」は自分だったと聞かされた

それから十年以上経って、豊橋のマッターホーンというケーキ屋さんで
偶然「ちんくしゃ」を見かけた
相変わらす黒目がちで、品の良い雰囲気を醸し出していた
自分は直ぐに気がついたが、彼女は気づいたかどうかはしらない

不意に、もっと素直に自分の心に従えば良かった
「ちんくしゃ」ともっと気楽に話すことができていたら
少なくとも今とは違ったことになっていただろう
それは後悔の念と諦めに似た感情だ

名字はK 名前はM
ニックネームは「ちんくしゃ」
この人のことを、いつか記録に残そうと思っていた
それができて、少し役目を果たしたような気もしている





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

涼しい朝だった

2024年08月09日 08時06分20秒 | ダイアリー

なんと今朝は涼しすぎてタオルケットを被るようにしていた

夜中に目覚めて、窓を大きめに開けて再び眠りにつこうとしたが
その時も意外に涼しい風が入るなと思っていたが
起床時刻は涼しすぎるくらいだった

温度計を見るといつもより2℃低い
それだけでなく、湿度はどういうわけか高い
どこか遠くで雨が降って、地表の温度が下がって
湿度が高くなってここまで影響しているのだろうか
と勝手な想像をしてみた

ただし日中はまた猛暑がやってきそう
かなわんなあ

ところで、「窓をパーパーに開ける」という言い方は
この地方でしか通じないそうだ
パーパーに開けただけで昼夜を過ごせた昔は
本当にあったことだろうか、と思ってしまう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする