昔からずっと疑問に思っていた事がある
それはマズローの欲求段階説
よくマーケティングなどにも引用される事の多いこの仮説は
人間の欲求の段階は,生理的欲求,安全の欲求,親和の欲求,自我の欲求,自己実現の欲求
の段階を踏むと言うものだが
確かに自分が覚えているマズローの本では
「これらのヒエラルキーが存在し、時にはどういう訳か最高の自己実現が
突出する人物もいる」とあったような気がする
つまり、必ずしも時系列の何々が達成されたら次へ、ではなく
同時期に五つの欲求が存在し、その中で個人にとっての優先順位を争うと言うものだ
大雑把な点では時系列の変化で考えていいかもしれないが
マズローはそこまでは言ってなかったような気がする
(何しろ昔読んだだけなので自信ないが、何故だか時系列ではなかったような、、、)
さてこのマズローの欲求段階説
引用される時には、無条件に近い形で時系列での段階を踏むとしているが
引用をした人はマズローの原典を読んで引用したのだろうか
もしかして、引用の引用をしたのではないかと思ってしまう
この手も事は結構ありそうで
引用の引用が当たり前になって
本来の意味合いとは違うものが存在してやいないかと
少しばかり心配になったりしている
(と言って、どうなるものでもないけれど!)
それはマズローの欲求段階説
よくマーケティングなどにも引用される事の多いこの仮説は
人間の欲求の段階は,生理的欲求,安全の欲求,親和の欲求,自我の欲求,自己実現の欲求
の段階を踏むと言うものだが
確かに自分が覚えているマズローの本では
「これらのヒエラルキーが存在し、時にはどういう訳か最高の自己実現が
突出する人物もいる」とあったような気がする
つまり、必ずしも時系列の何々が達成されたら次へ、ではなく
同時期に五つの欲求が存在し、その中で個人にとっての優先順位を争うと言うものだ
大雑把な点では時系列の変化で考えていいかもしれないが
マズローはそこまでは言ってなかったような気がする
(何しろ昔読んだだけなので自信ないが、何故だか時系列ではなかったような、、、)
さてこのマズローの欲求段階説
引用される時には、無条件に近い形で時系列での段階を踏むとしているが
引用をした人はマズローの原典を読んで引用したのだろうか
もしかして、引用の引用をしたのではないかと思ってしまう
この手も事は結構ありそうで
引用の引用が当たり前になって
本来の意味合いとは違うものが存在してやいないかと
少しばかり心配になったりしている
(と言って、どうなるものでもないけれど!)