嵐山光三郎の名前や顔は何となく知っていたが、
本を手にしたのは初めてで
流石に読売文学賞、泉鏡花文学賞を受賞しただけあって
興味深い本だったのが
「悪党芭蕉」新潮社刊
所々同じ話が繰り返されたのは、小説新潮に連載されていたものを
一冊にまとめた所為。
なによりもよかったのは芭蕉を聖人君子として
奉り上げなかった事。
この国では、ある分野で立派な業績を上げた人物は
人間的にもすばらしいに違いないとか
すばらしくあらねばならない、とされているが
(どこかの野球チームみたいに)
自分の今までの経験からすると残念ながら
特殊な才能を持った人物は、ちょっと変な人物が多い
この本の芭蕉もその扱いで、聖人ではなく
今の時代に言う才能のある「プロデューサー」の一人として
後世の評価ではなく、同時代の評価を元に話が進められたのが
人間芭蕉をより身近に感じさせた
「類は友を呼ぶ」のことわざ通りだとしたら
芭蕉の周りに、少しぶっ飛んだ人物が集まったのは
芭蕉の俳句の能力のせいだけではなく
どこか変なものを感じさせる何かがあったせいではないだろうか
それにしても、今まで何にも知らなかった事が
今回も改めて実感させられた
例えば、歌仙という連句、弟子達の覇権争い、衆道など
そんな事は教科書には載っていない
だが、そうした教科書に載っていない事柄こそが
より等身大の芭蕉を表わしている
蛙は、本当は池に飛び込まずに、ゆっくりと水に浸かっていく
とか
荒波の日本海の天候では天の川は見えないので
「古池や、、、」の句も「荒波や、、、」の句も
実は写生ではなく、芭蕉のイメージの中の世界であるのだけれど
言わんとする事の表現力はやっぱり抜きん出て凄いな
読み終えてから思わず岩波文庫の
「芭蕉7部集」を手にしそうになってしまったが
この本はそれだけ刺激的で興味深かったと言える。
本を手にしたのは初めてで
流石に読売文学賞、泉鏡花文学賞を受賞しただけあって
興味深い本だったのが
「悪党芭蕉」新潮社刊
所々同じ話が繰り返されたのは、小説新潮に連載されていたものを
一冊にまとめた所為。
なによりもよかったのは芭蕉を聖人君子として
奉り上げなかった事。
この国では、ある分野で立派な業績を上げた人物は
人間的にもすばらしいに違いないとか
すばらしくあらねばならない、とされているが
(どこかの野球チームみたいに)
自分の今までの経験からすると残念ながら
特殊な才能を持った人物は、ちょっと変な人物が多い
この本の芭蕉もその扱いで、聖人ではなく
今の時代に言う才能のある「プロデューサー」の一人として
後世の評価ではなく、同時代の評価を元に話が進められたのが
人間芭蕉をより身近に感じさせた
「類は友を呼ぶ」のことわざ通りだとしたら
芭蕉の周りに、少しぶっ飛んだ人物が集まったのは
芭蕉の俳句の能力のせいだけではなく
どこか変なものを感じさせる何かがあったせいではないだろうか
それにしても、今まで何にも知らなかった事が
今回も改めて実感させられた
例えば、歌仙という連句、弟子達の覇権争い、衆道など
そんな事は教科書には載っていない
だが、そうした教科書に載っていない事柄こそが
より等身大の芭蕉を表わしている
蛙は、本当は池に飛び込まずに、ゆっくりと水に浸かっていく
とか
荒波の日本海の天候では天の川は見えないので
「古池や、、、」の句も「荒波や、、、」の句も
実は写生ではなく、芭蕉のイメージの中の世界であるのだけれど
言わんとする事の表現力はやっぱり抜きん出て凄いな
読み終えてから思わず岩波文庫の
「芭蕉7部集」を手にしそうになってしまったが
この本はそれだけ刺激的で興味深かったと言える。