パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

病んでいるのは社会も同じ(なんとかしなければ)

2008年06月10日 23時05分09秒 | Weblog
秋葉原、無差別殺傷事件は衝撃的なだけに
まだまだいろんな角度から解説がなされるだろう

だがこの事件の根は深い
それは単に個人の気質による事件ではなく
社会の病巣から産み出された様に感じるからだ

別に容疑者の味方をしたり肩を持つわけではないが
若者のうち何人かは、あんなことをしてしまいそうな
空気が、不満が、閉塞感が、満ちあふれている様に思う

実際、今の若者は一部の人間を除いてかわいそうだ
と思うことしきりだ
ジニ係数が若者の間で差がある様に
皆が公平にではなくなっている
(それも個人の努力を越えたところで)

ニートは別にして、ワーキングプアの状態にいる人々は
実際のところ明るい未来を見ることができるのだろうか

確かに企業は若者を調節弁的な労働力として
扱うところが多くなっていて
企業の収益を上げることこそが
株価、株主への貢献と考える傾向が多くなっているようだ
そこには実際働く人々への関心や想像力が欠如している

どんな時代にも苦しいことはあった
それを乗り越えて人は成長していく

テレビなど媒体に出てくる解説者はこのような
高所から物申すみたいな事を言いそうだが、
その前に今おかれている環境
社会がいかに変で、少なくとも弱者には同情に値して
なんとかしなければ!
と考えなければならないことが
すっかり頭から抜け落ちている

強いものだけはない
必然的に産み出されてしまう社会的弱者にも
努力不足!
の一言で片付けずに、真に再生できる様な社会にしない限り
この事件はまた繰り返されてしまうのではないだろうか?

願わくば、この事件に触発されて
似た事件が起きないことを願うばかりだ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする