パンセ(みたいなものを目指して)

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CLPの問題はブーメランか

2022年01月09日 10時01分11秒 | あれこれ考えること

ネット上では「ブーメラン」という言葉がよく使われる
少しばかりみっともない意味合いで
ある人を批判した人が、全く同じ理由で批判されることになることをいう

文書交通費が一日で100万円が一般社会通念としておかしいと発言し
一気にこの問題の中心になった感のある維新が、実は維新の中心人物が
以前に同じような状況で自分の懐に収めていた事実が見つかって
「お前が言うか!」と批判される様になったのは最近の例だ
(この話題は何故か一部の人にしか伝わっていないが)

その他にも野党時代の菅さんが当時の政権である民主党に対し
舌鋒鋭く追求したのが、今度は全く同じ内容で首相の菅さんは
追求されることになった

以前、人に言ったことや、自分のしたことが今と違うというのは
人が人であるが故にありそうなことだ
現実には首尾一貫した人間というのが、そもそも無理なのではないかとさえ思う
あちこち都合よく揺れているのが人というもので、首尾一貫しているのは
理屈の上では良いとされても、どこか自分は非人間的な要素を感じてしまう

ところで最近「ブーメラン」そのものと、ある界隈の人に
「今がチャンス!」と騒がれていることがある
それはCLP(Choose Life Project)というYoutubeチャンネルに関することで
このCLPはデマとかフェイクニュースが多いなか、公正な番組を提供しようと
一般の人にも資金の協力を得て、番組を作るとしてきた
ところがこのCLPには民主党のお金が1500万円提供されていたというのだ

この事実から、民主党議員のツイッターアカウントDappiに対する訴訟も
お前たちにそれをする資格があるのか、、と反撃をされることになったのだ
(Dappiはツイッター上で野党をデマとフェイクニュースで攻撃していたので
対象となった民主党議員が裁判を起こしたところ、このアカウントは個人ではなく法人で
その取引相手に自民党があったので、野党側から自民党の活動が疑問視された)

公正中立といいながら、そちら(民主党)も似たようなことをしているのではないか
それがブーメランと言うわけだ

DappiもCLPも自分はその投稿に接している
人には指向性があるので自ずとどちらかの主張に同調しやすいが
Dappiのツイートには反感を、CLPの動画番組には共感することが多かった
その一つは「わきまえない女たち」と題された番組で
森元首相の女性蔑視と思われる発言をきっかけに
現在の社会に存在する女性差別を各界の人々(当事者である女性)に語ってもらい、
その解決策を探すという番組だった
これは興味深い内容で、他に女性差別だけの問題でなく、古くから存在する日本社会の
問題点を暴き出したような番組だった
そして、この番組に出ていた雄弁な女性たちの名前を覚えるきっかけとなった
CLPはマンスリーと単発という形で一般人から資金提供を募集しており
自分も一時期出資しようとも考えた
(同じような組織のD4Pにマンスリーで協力しているのでちょっとケチった)

CLPの番組が偏向していたかどうか?
共感する部分の多かった自分は偏向していたとは感じなかった
だが捉え方は人それぞれで、偏向しているとした人もいた
(例えば「わきまえない女たち」も森さん攻撃のための番組だとして)

問題は出演者は民主党からお金が出ていた事実を知らずに出演していたことで
出演者は、一気に公平な立場がが保証されないことになってしまった
だから出演者の多くが失望したり、怒りを覚えたのは理解できる
彼らはCLPに抗議文を提出し、第三者委員会の設置も求めた
CLPは6日に謝罪文と説明を公表した

それは番組立ち上げ当時、資金に困っていたので民主党の福山さんに相談し
広告代理店を通じて資金提供を受けた
途中から自分たちのお金でやっていけるようになったので資金の援助はなくなった
番組は民主党からの声は反映していない
責任ある組織の代表としてはあまりにも杜撰な行いを反省し、代表を辞任する
ざっとこんな内容だったと記憶している

番組は党からの声を反映しなかったというが、お金を出してもらっている以上
忖度という形で影響を受けることは想像できる

今回のことでがっかりしているのは、(自分が思うに)常識的ないい人たちだ
どちらかに偏りながらも、両方の意見を聞いて出来る限り公平に扱おうと努力を
してきた人たちだ

だが、ここで少し考えてしまったのは、そもそも(報道に)「公平中立」というものが
存在しうるのかという問題だ
人は生きてきた環境も歴史も違う
だから物事の理解の仕方もそれに伴う判断の方向性も違う
それをまるで赤ちゃんは初めて接するようなニュートラルな情報の提供はできるのだろうか
安易な両論併記とか傍観者のような態度に終止するのは、真の意味で公平中立なのだろうか

日本という国は「無色透明」が好まれるようだ
癖のないもの、水みたいなもの、
しかし、それは一方個性がないことに通じる
知り合えば知り合うほど、人は個性的な人の集合だと認識する
つまりは「無色透明」は概念として存在していても、実際には存在しないとさえ思えてしまう
(これは引き続き考える必要がありそう)

ということで、日曜の朝にふさわしくない内容
でも、これは気になって仕方ない

 

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