パンセ(みたいなものを目指して)

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相棒とNHKBS1スペシャル(デモに関すること)

2022年01月10日 10時13分36秒 | あれこれ考えること

正月早々テレビ局が謝罪に追い込まれている
一つは人気番組「相棒」の正月放送分
もう一つはNHKBS1スペシシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」
偶然なのだろうか、デモに関する部分が問題となっている

「相棒」では、駅の売店を運営する企業に属する非正規社員の何名かが
ピンクの鉢巻をして「非正規差別NG」と書かれたプラカードやビラを持って
ヒステリックな声を上げているシーンの演出(映像)が問題視された
それはデモをする人が「騒がしい人たち」のイメージを過度に印象づける
のではないか、、と批判がテレビ局に届いて謝罪に追い込まれたのだ
(脚本家は想定していなかった演出だったらしい)
テレビ朝日は最終的には以下のコメントを発表した
《今、苦しい立場で闘っておられる方々を傷つけたのではないかと思うと、とても申し訳なく思います。
どのような場においても、社会の中で声を上げていく人々に冷笑や揶揄の目が向けられないようにと願います》


NHKBS1「河瀬直美が見つめた東京五輪」では、オリンピック反対のデモを
する人らしき人のインタビューで、その画面の字幕には
「お金をもらって動員されている」とあった
この部分に違和感を持った人たちがNHKに問い合わせたところ
NHKは事実確認をしないまま字幕作成を行ってしまったことを認めて謝罪に至ったというものだ

この2つの出来事は、デモという行為を一部の人(もしくは多くの人)が
どの様に感じているかを知ることができる様に思う
そのイメージは「デモは騒がしい人たちの騒がしい行為」
「デモは自発的ではなく動員されたものに違いない」
といったステレオタイプの解釈だ

日本ではデモに参加したことのある人は多くないかも知れない
自分は少数派に属するかもしれないが、デモに参加したことがある
「原発反対」とか「安保関連法案反対」に積極的と言うよりは
「デモはどんなものかな?」くらいの気持ちで参加した
(現場に出かけたもう一つ大きな理由は、デモ参加人員が
 主催者発表と報道発表があまりにも違うことが多いので
 どちらが正しいか確かめたかった)

デモに参加すると言ってもこんなだから、気合が入っているわけではない
だから行進しながら声を上げるのもどこか恥ずかしい
それにあまりにも単純化されたシュプレヒコールはなんだか自分の気持ちとは
少し違うような気がして、時々みんなと合わせるだけで、ただ黙々と歩いた

デモをしてると、デモ参加者の視点で道を歩いてる人やデモを眺めてる人
何ら関心のなさそうな人など普通の人の生活を見ることがでる
そういう時は「普通の人たちは何故そんなに無関心でいられるのか?」
と自分のことは棚に上げて思ったりしたものだ

だが、自分がデモ行進を眺める立場だったら、どう感じるかを想像すると
騒がしいい人たちの騒がしい行為、、と思うかもしれないとも想像できる

デモに対する「慣れ」が日本社会に無いのではないか、、フト思う
日本の今の世の中は、あまりにも言われたことに従順に生きることを
要求されすぎていないだろうか
自分のなかに湧いてきた違和感と考えを、仲間と一緒に声に上げる
そんなことは実はごく自然で当たり前の行為なのではないだろうか

以前、読んだ本によると江戸時代にも止むに止まれぬ思いで
お代官様に直訴した農民などの行動はあった
直訴した人物は社会秩序維持のため厳しい罰を受けたが
その訴え内容はいくらか聞き入れることがあったらしい
印象に残っているのは、直訴した人物の罰(死刑)は予め想像できたので
村の人は困難を顧みず代表として直訴を行った人の家族は
村人で守るという約束事があったらしいというのだ

どうやら江戸時代でも自発的に感情の爆発を伴う行為はあったということだ
そしてそれは人としてごく自然のことのように思える
(村全体で直訴した人物の家族を守るというのも、よく考えられていると思う)

江戸時代にあった直訴、明治時代(大正時代?)にもあった騒がしい自由民権運動とか
自分が高校時代に経験した鉄道会社のストライキは、今は何故か起きていない
それだけ世の中が平和ならば問題はないが
経済格差の問題とか少数者の支配による不公平感、
そして何よりも命の危険を感じさせるような勢いだけの外交政策(態度)に
ただただ従順に従うだけというのはどうなんだろう

フランスでは緩いデモが日常なのだそうだ
勇ましくシュプレヒコールを上げるのではなく、無気力とも言える様子でダラダラと歩く
途中でなにか食べながらとか、抜け出したりすることもあるとか
これらは反対しているから直ぐに方針を変更せよ、、と言っているのではなく
「反対している人がこれだけはいるのですよ」と訴えているのかも知れない

日本のデモに対するステレオタイプの認識は、テレビによって作られているが
今回、テレビ局に抗議の声があがったことは、少し良かったと言うべきか

それにしてもNHK
これは単なるミスなのか、それとも深謀遠慮の策なのか
と疑ってしまえるところが情けない




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