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「裁判官の良心とはなにか」を読み始めた

2024年06月27日 18時49分41秒 | 

昨年、豊橋にある時習館高校の130周年記念行事に
卒業生であり現役の裁判官でもある竹内浩史氏の講演会があった
その講演タイトルは「裁判官の良心とはなにか」だった

裁判という言葉にすぐに反応してしまう立場の一人として
また裁判官の良心に期待していた面もあったので
この講演を聞こうと思いエントリーしようとしたが
時すでに遅し!定員はすっかり埋まっていた

チャンスは逃したままだと思っていたら「裁判官の良心とはなにか」
というタイトルの本があることを教えられた
大手の出版社からではないようだが、とにかく手に入れた

この本はいくつかの章に分かれているが、このタイトルの章が最初にあって
時習館高校の130周年記念事業の内容を収めたものだった

そもそも「裁判官の良心」とは憲法76条3項に「裁判官の良心」
という言葉が出てきて、それが引っかかっていて、彼独自の見解を現すために
講演とか本に残したとのことだ

憲法76条3項は以下のような文章
「すべての裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ
 この憲法及び法律にのみ拘束される」
不思議なことに良心という言葉が入っている
この良心云々の言葉が入っていなくてもおかしくはないのに
なぜ入っているのだろうと竹内氏は考えた
そして独自の解釈に至った

あまり好ましくないヒラメ裁判官は、自分が担当する事案については
当事者の主張と証拠に基づいて事実認定をする、ここまでは良いのだが
ヒラメ裁判官は、まず過去の類似事案の上級審の判例を検索して探す
うまく見つかったならば、それと同じように判決して一件落着、一丁上がりとして
処理件数を稼いでしまう
こんな進め方で良いのか?
それが良いのなら生成AIのほうがよほど効率的に処理できると考えたからで
彼は良心的裁判官は以下のようなステップを踏むとしている
1 まず、仮に法律が無かったとしたら、どっちを勝たせる事案か、自分の良心で考える
2 その結論を法律に基づいて上手く説明できるか考える 出来るならばそれで判決を書く
3 そのために自分の法律論に反するような最高裁判例が無いかを確認する

つまりは憲法の文章に書かれた順番で、つまり良心で一番最初に判断し
それから法令等のチェックをするというのだ
もちろん、これは言うにやさし、行うに難しの部類で実態は難しい取り組みだ
だが、こうした人がいるという事実は、裁判は信じても良い制度なのかもしれない
と思えたのも事実だ

実は最近は裁判自体に不信感を持っていた
自分が経験した裁判は、
裁判官が社会人として普通に感じるであろう違和感を何ら持たずに
雑な判定を行う、、、それはとても許しがたいことのように思えた
だが、それより前は裁判は立派な人格者が行うものと信じていた
それは団等重光氏の「法学の基礎」を読んだからで、この人の裁判に向かう態度とか
姿勢は尊敬に値し、そして裁判に関する法体系は秩序だって素晴らしいものと思っていたのだった

団等重光さんのような人の判決なら仕方ないかな、、と思えるもので
この竹内さんでも似たような感情を覚えるに違いない

ということで読み始めたこの本
裏事情の紹介もあってなかなか面白い
ところで、時習館高校で行われた講演会はYoutubeにアップされている
「裁判官の良心とは」33回生 竹内浩史 時習館高校130周年記念フォーラム 2023.10.29

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