少しお気楽な投稿が続いたので、久しぶりに真面目なものを
「光る君へ」のドラマの影響で「香子」とか「清少納言のたくらみ」を購入して
平安時代の価値観などに浸っているが、反動として現代の問題にも関心が行くようになって
「資本主義の宿命」(橘木俊詔著)をアマゾンで購入した
そして一気読みした
資本主義に関しては少し前に「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」
を手にした
この本が思いのほか興味深かってので、それで上記の本を手に入れたのだった
この本(宿命の方)の終盤に二つの考え方の否定がなされてる
一つは世界ではよく知られているが、何故か日本ではそう思われていない
トリクルダウンの効果のないこと
富むものが富めば(経営者たちが富めば)そのお金は下々まで落ちてくるという
一時期自民党の表立って唱えた考え方だ
これはピケティの「21世紀の資本」でも否定されているし
それ以外でも世界では当たり前のように否定されている
だが日本ではいつまでも説得力をもって語られるような気がする
これは早くメディアが現実のことを伝えるべきと思う
(それが現実的に機能しなかったのは人間性の闇の部分のせいか、
それとも法的な不備(下請法などの)のせいか、いずれにしても結果的には機能しなかった)
もう一つは、高収入の人々に累進課税をかけると、せっかく頑張って働いてきたが
税金でお金をたんまり持っていかれてしまうのでは、もうそれ以上働く気持ちが失せてしまい
それは経済にとっても良くないとする考え方
心情的にはそんな気がしないでもないこの理屈も、実態はそのようなことで勤労意欲は
失せることはないとデータが示しているという
考えてみれば大谷さんが税金をたくさん取られるからと言って野球に真面目に取り組まないとか
藤井聡太さんがたくさん税金を取られるからといって、自分の大事にしているものを
自ら離れていくなどとは考えられないことから想像できる
格差が存在しないほうが経済的だけでなく保安上も良いと思われる
どのように格差について対応していくかが国とか地域によって違ってくる
日本がお手本とする国アメリカは、自己責任の精神が根ざしていて
弱者に対して公的な補助は否定的な考え方が多いようだ
日本でも最近は自己責任論が巷で広がっている
不思議なのは、すぐにでも弱者に陥る可能性のある人々が(弱者予備軍が)
自分たちは勝ち組のような精神状態にいることだ
つまりは日本人はどの立場にいても自分たちを勝ち組とか自己責任論で乗り切れる
と思っている人が多いような気がする
大雑把に分けると、経済を仕切る人たちの要望を考えて社会を運営する考え方と
どうしても生まれてしまう経済弱者を中心に考えてより良い社会を作ろう
とするものに別れるようだ
現実的にはバランスの問題だが、ヨーロッパのドイツ、フランス、あたりは
自己責任論で終わらない半ば公的な力を重視する社会になっているようだ
さて日本はどちらがいいか?となるのだが、
問題は日本人はこの問題に対してしっかり考えていないことではないか
日本人はどんな時も対処法だけで済まそうとする
根本的な取り組み方は、どうしてもないがしろにされて
対処法が思想にまではならない
ということで、これらの本を読むたびに日本人の問題に取り組む姿勢が
どこか浅いものとか、最近の知識人といわれる人々の人間性のポテンシャルは
過去の丸山眞男とか福沢諭吉などと比べて
すごく小さなスケールになっていないだろうかと不安を覚えてしまう
(この本はもっと詳しく格差についての話が本筋となっているが
とりあえず自分が気になったのはこのこと)
例のごとく話が逸れてしまったが、そう思うきっかけになったということ