パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

不安を覚える偏り、独断、無関心

2024年06月28日 09時33分32秒 | あれこれ考えること

折り込み広告を定期的に行っている人は、最近の新聞購読者の減少に驚きを覚えるそうだ
そうした声はよく聞くが当事者からの話はよりリアリティがある
テレビを見ない人も増えているようだ
昔なら一家に一台どころか、一人一台だったテレビ
NHKの受信料を払うのが嫌で、それならテレビ無しの生活を!
と開き直ってテレビを所有しない生き方を選ぶ人も少なくないようだ

そのような人は情報はどのように手にするのか?
と疑問を覚えるが、答えはネットで手に入れるとのこと
ところが、そうした生活スタイルの人と話すとそのネットの情報収集がかなり偏っている
一般的な風潮とか物事の解釈よりは、どこか突飛な主張を受け入れる傾向が多いようだ
例えばディープステイトとか、アメリカ選挙の不正だとか、コロナワクチンの疑惑だとか

ネットの欠点は自分が好む情報を探しやすい点にある
おせっかいなお勧め機能が働いて、まるで自分の指向性が一般的であるかのような
そんな錯覚を覚えさせるようなこともある
もっとも、それを指摘すると、そちらのほうが偏っている、、とも言われそうだが

ネットの世界のせいで、ネガティブキャンペーン的な様相を帯びている都知事選
小池さんは学歴詐称、パーティ券の問題、都庁のプロジェクション・マッピングの入札疑惑
蓮舫さんは二重国籍問題、批判ばかりの姿勢、選挙告示前の運動の公職選挙法違反
そして大勢いるからといって公道を歩きにくくしていて邪魔だとか、一人だけ木陰に入って
または雨の中傘をさして、見聞きしている人は炎天下とか雨の中でかわいそうで
そんな姿勢の人がトップに立とうとして良いのか、、とあったり
石丸さんは、かつての喧嘩腰の姿勢が問題視されたり、、、
つまりは、だれでも探せばでてくる負の部分を異様に強調するネガティブキャンペーンが花盛りだ
そしてこれだけ人の悪いところを指摘するものが多いと
人間には悪口は気持ち良いとする傾向が備わっているような気もする
(普通はそれを品の無い行為として自制するのだが今は、、、)

だが一番の問題は、こうした場外の戦いがあったとしても投票率はどのくらいなのか
という点だと思う
投票する人がいないとか、誰がやっても変わらないとして投票しない人は
結果的にだれに投票していることになっているかを考えてみることが必要だと思われる
つまりは「投票しましょう!」というだけでは人は命令されているようで賛同できないが
「もしかしたら投票しない自分たちは誰かに投票していることと同じかもしれない」
と実感できるような諭し方をしたならば、少しは違ってくるような気もする

それにしても、いろんなところで余裕のない人間性が見られることの多いこと
政策の良し悪し以前の人間性に不安を覚えるような人が多すぎる
それらの人は「清濁併せ持つ懐の深い人物」との評価を受けるかもしれないが
そんなことはない、単に品のない人間に過ぎないと思えてしまう

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