パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

単なる妄想ではないと思うが、思いついたこと

2024年07月21日 09時30分53秒 | あれこれ考えること

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

広島の原爆死没者慰霊碑のはこのように刻まれている
今までは、サラッと読んで気に留めなかったが
先日気になることがあって無関心ではいられなくなってしまった

この文の主語は誰だ?
と、この碑文自体に文句を言う人々がいるというのだ
ここからは想像だが、そう言う人たちは(おそらく)
この文の主語は原爆を落とし多くの死者を生んだアメリカ
としたいのだろうと想像した

そしてそのように思う人は、日本国憲法についても
アメリカから押し付けられたもので、すぐさま改憲する必要がある
と声をあげている想像した

そしてもう一つ、このような思考傾向の人は、先の戦争での日本の行いに
ついてのお詫びを(自分たちが関わっていないのに)
いつまでもしなければならないことに不満を持っている人々と想像した
これは思い込みかもしれないが、当たらずと言えども遠からずではないだろうか

ところで、自分は冒頭の文の主語は、人類全体くらいの感覚でいて
それは人類の共通の知恵となりうるものだと思っていた
痛い思いをした人々は共通の知恵としてあることを心に刻む
それは自然なことで、みんなで共有するものと思っていた

話は変わって旧優生保護法による強制的な不妊手術は違憲とされ
国は被害者にお詫びを行い、更に被害弁償を支払うことになっていると報道された
つまりはこの話は、過去の政府が行ってきて現政権には直接的な責任はないことだが
それでも国として責任あるものとして、お詫びやお金を支払うべきものとして
行動するのが当たり前としている
これは世界的に法的にそう言うものなのか
それとも感情的にそうあるべきというところなのか、わからないが
行政の連続性というのはそういうことなのだろうとも思う
それがあってこそ、国は信用されるものだと思う
(昔、行ったことを今生きている自分たちのせいではないから、
責任は負えないと言ったら、他国はそんな国を信じるだろうか)

先の戦争の責任についていつまでお詫びをすればいいのか?
と言った、自分たちを精神的に救いたい気持ちはわからないではない
それが、みっともない出来事なら尚更だが
悪かったことは素直に悪かったとと認めることは
その後の関係に大きな影響を与えると思われる
(いつまでかは残念ながら自国で決めるものではなさそう)
でも、それができないのが人間という生き物
今の世の中、色んな面で余裕が無さすぎるのだろうか?

人が、いい人間であることは思いのほか難しい





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