明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



次号の『タウン誌深川』の連載"明日出来ること今日はせず"には、引っ越しを期に64年の東京オリンピック以前の生活をしようと、ホウキとチリトリ、文机に座椅子の生活に、としたつもりが、文机と座椅子は腰痛で挫折、椅子と机に戻した話を書いた。あれだけ宣言しておいて情けない話である。こういう時、すぐに頭に浮かぶのは寺山修司の『書き換えの効かない過去などない。」である。私のようにいい加減なクセに融通の効かないところがある私には、寺山がそう言ってんだから、と心穏やかに過ごせる、有難いお言葉である。 知り合いのお茶屋さんに、完全無農薬のお茶をいただいた話もブログで書いた。いくら無農薬で栽培しようと、山の上で農薬を使われては意味がない。山を一つ持っていないと実現はしない、という話を聞いた。子供の頃、母がお茶ガラをまいて掃き掃除をしていたのを思い出し、それをやってみようと思ったが、いただいたお茶の製造行程を聞いてしまったものだから、捨てずに佃煮にでもして食べようと冷蔵庫に溜め込み、お茶ガラの代用に、ちぎって湿らした新聞紙でいいや、と思っているうちに、地元の先輩からダイソンの掃除機あるけど使う?とメールが来た。私は誘惑に抗しきれず、臆面もなくいただきます。と答えてしまった。ホウキは見える所にぶら下げ、ダイソンは押し入れに隠しておけば良い、と。 一体何のための64年だ、という話だが、こうして次々と文明の利器に負けて行く可能性が高い。一度ほつれた穴はいかんともしがたい。本日、今日送るからと、電話をいただいた。「有難うございます。」電話を切るとすぐにまた電話「箱は最新のだけど、機種は前のだから。」次の機種を買うまで、前の箱とってあるんだ、と何でも届くそばからベリベリとやってしまう私は、妙に感心したのであった。

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