明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



子供の頃、今は図画工作とはいわないのかもしれないが、あんな楽しい時間はなかった。ところが写生となるとがっかり。風景や目の前の物を見て描け、となったとたん、嫌になってしまうのである。風景を描くにしても、遠足の後に教室で描くのが好きなので、現場で写生は大嫌いなのであった。そう思うと、私のもともとの写真に対する興味の無さは、そんなところから来ていたのかもしれない。結果、外の世界にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想だ、ということに至る。それは頭の中に浮かんだイメージは何処へいってしまうのだ、という子供の頃の疑問から始まっている。そしてそれを可視化してやはり在った、と確認する。 私の母は、最初の子育てである私で、どうやら聞いていた子育てと違う。と早々に異変?に気付いて、学校を含め、様々な所に相談に行き、知能テストなどやらされたのだが、母が私に感じた異変とは、どうも外側の世界と内側の世界に対する感受性の差違に母なりに気付いていたのだろう。確かに何度も書いたが、どこかの王様に石の塔に幽閉され画用紙クレヨン使い放題、図書室は読み放題、算数宿題なんかやらなくて良いので、ここに一生おれ、なんてことを夢見ていた。そう思うと、母には、せめて外側の世界に興味があるフリぐらいできるように、とチック症になるほどうるさくと教わったような気がする。まあ、会社員にでもなろうというなら問題も生じるだろうが、内側の世界をモチーフとする渡世で生きるのであれば問題はない。と思う? そう考えてみたら、私が何故女性を作らないのか。写真となるとレンズを向けるのか。様々な理由を考えていたが、単に私の中に無いからだ、という単純な理由のような気がして来た。自分の中に無いものは出て来ない。

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