明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



最近見なかった夢を見る。私が何かしでかし、それが露見しそうになり悩むという、昔からたまに見てきた夢である。どうすれば良いのだ、としばらく苦しみ、何をしでかしたんだと端から考えて行き、だんだん目が覚めながら、何もしでかしてはいないではないか、とホッとして目が覚める。何が嫌だと行って、確かに私がしでかしそうなことを端から潰して行くのだが、これがいかにも私がしでかしそうなことをいちいち思い浮かべなければならないのが、うっとおしい。私の見る夢の特徴は、シチュエーション、キヤステイング等でたらめだろうと、私は私がいかにも言いそうなことしか言わない。つまりしでかしてもいない、しかししでかしそうなことを、捻り出さなくてはならないのが夢とはいえ苦痛である。何もしていない、とホッとしても、すでにしでかしそうなことを羅列した後味の悪さも残る。 ベランダのサッシを開け放してコオロギの声を聞きながら寝たが、目を覚ますと金魚のために用意したプラスチックのトロ舟のホテイアオイの最初の花がすでに枯れて蕾がいくつも顔を出し、見ているうちに開花した。花が咲くなんて小学校のアサガオ以来なである。植物に興味はなく、青空を背景に咲く赤いバラに足を止めることがある程度である。思いの外新鮮であり、夢のダメージは薄れて行く。寿命はほぼ1日らしい。アシナガ蜂が以前から通って来ている。


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