明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私の場合、コロナに関係なく、家に閉じ籠る生活であるし、引っ越し前も、ほとんど三百メートル四方にしか飲みにも出掛けなかった。出不精もかなりこじらせていた。何度か書いたが、ツアーで一度だけニューヨークに行き、中華街やイタリア人街から一歩も出ずに死んでいく人がいる、とツアーガイドに聞いたとき、そのあまりの狭さに、そいつらバカじゃないのか?と思ったものだが、気がついたら私がそうなっていた。そんな訳で、コロナだといって、特に何も変わらないな、と思うのだが、金魚を相手に寒山拾得制作に備える、というのは、私がいくらおっちょこちょいだとして、奇策、奇手というにも程がある。水槽を眺めていて、私なりにコロナが、某かに影響しているのではないか?急にそんな気がしてきた。寒山拾得をモチーフに、というのは、以前からブログでぶつぶついっていたし、作家シリーズも随分やってきたし。流れもそうなってていた。となると、コロナ禍の渦中で飯沢耕太郎さんとの無観客トークショーで口走ったのが引き金だったかもしれない。ブログなら干からびさせた糠床の話のように、黙ってしまえば済むことだが、お相手のあるトークショーはそうはいかない。となると、コロナが某か、反映していた可能性は大いにある。人と相対せないから代替え案として、金魚を、などという単純な事ではないはずである。そもそも参考になる人間などいないし。私の頭は単純だとしても、臍下三寸辺りに存る何かは、そんな軽々なことで済ますはずがない。あまりこんなことばかりいつているとノイローゼを疑われそうなのでこの辺りにしておく。

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