和菓子屋を舞台にしたドラマを観ていて、小豆を煮るシーンで、美味そうでムラッとした。妙なことを思った。子供の頃、子供の割には甘いものを好まず、特に和菓子、あんこや羊羮が大嫌いで、どら焼きをもらうと、あんこを捨てていたくらいであった。先日、60年代に、ジミヘンが使っていた日本製エレキギターが2290万の値がつき、それは幼稚園からの幼なじみが1000円で買って来たギターだったと書いた。彼との演奏が、ラジオ放送されたカセットが出て来たことも書いたが、彼の家は通りに面した和菓子屋で、機械でいつも餅をついていたこともあり、練習場所として大きな音を出すことができた。遊びに行くとおばさんが、あんことみたらしの団子を出してくれた。みたらしはなんとかなったが、あんこは、おばさんにいうなよ、と口止めして彼に食べてもらっていた。 区の健康診断は、パンツ一丁の旧友と再会すると思い込んで行くことはなかったが、ようやく行ってみたら思いの外の悪い方の高得点をもらい、ふざけるな、そんなはずはない、と目の前の甘い物をやけくそで口にしたら「美味い?」以来食べられるようになってしまった。一方で酢が子供のこれから嫌いであったが、ある日ラジオで深田恭子が、餃子は酢だけて食べると耳にした。深田恭子がいうなら、と冗談で使って以来、かた焼きそばにはじゃぶじゃぶ、餃子は酢と胡椒、薄ボケたようなラーメンにかけることさえある。胃がもたれて何度試してもまったく飲めなかったブラックコーヒーも一昨年の銀座の個展会場のコーヒーメーカーで飲んでみたら、以来飲めるようになり、フラダンスのようなどんくさい動きが嫌いだった 金魚を眺めながら飲んでいたり。 ところで何度となく書いているが、私の場合、嫌いだ苦手だ、といっていたものが大事な物に転じてきた。写真、パソコンはその典型だし、子供の頃から写生が嫌いでデッサンも数えるほどしかしたことがなかったが、作家シリーズを始めて以来写真を参考に人物を作り続けてきた。そう考えると、前半生で苦手だった物を後半生で克服、好物に転じてきた。となると、最後死の床で「梅干しはこの酸っぱいところが良い!」とでもいうのか。だが強烈に酸っぱい梅干しだけは、歯応えだ、風味だ以前に拷問に近いから、確かにそういった時は味覚もおかしくなり死ぬ時であろう。
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